往生と成仏 — 葬式仏教(その3)
末木 文美士 『日本仏教再入門』より

Reading Journal 2nd

『日本仏教再入門』 末木 文美士 編著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

第十二章 葬式仏教 日本仏教の深層2(末木 文美士) (その3)

今日のところは、「第十二章 葬式仏教 日本仏教の深層2」の“その3”である。前回“その2”では、仏教の死生観をインドよりたどっていった。インドの宗教や初期仏教・部派仏教では、自業自得のような個人単位で輪廻を考えていたが、これが大乗仏教では、「空」の理論により、自己の功徳を他者に振り分ける「廻向」という考え方が生まれた。この理論により死者の供養が東南アジアで発展し、中国を経由して日本にもたらされた。

今日のところ“その3”では、中国から伝わった死者の供養が、日本でどのように発展し、日本独特の葬式仏教となったかをたどっている。それでは、読み始めよう。

3.往生と成仏

日本での葬式仏教の発達は、近世から近代へかけての政治的、社会的な変化に適応したところがあるが、その理論的根拠は、日本に古くから展開していた。


明示されてはいないが、本節は、問①の「現在の葬式仏教の形態は古くからの習俗といえるか」(問については、ココ参照)の肯定的な答えとなるのだろうと思う。(つくジー)

空海の即身成仏の思想

ここでまず指摘されるのが、空海の即身成仏の思想である。地・水・火・風・識の六大は、この世界を成り立たせている原理で、修行者の身心の原理であり、そのまま悟りの原理である、と空海は説いている。そのため、我々は初めから悟りの中に入っているが、それを自覚することにより、現世での悟りが開かれ、仏の境地に達する。

インドでは、悟ためには、極めて長い時間、輪廻を繰り返いし修行する必要があると考えられていたが、東アジアでは悟りが現実化する。中国では禅の頓悟思想が発達し、さらに日本では、禅とともに密教の即身成仏思想が発達した。

即身成仏思想はそれだけでは死者儀礼の根拠とならないが、悟りが身近に引き寄せられることで、死者の成仏を可能にする思想に展開する要素を持っていた。(抜粋)

浄土教と即身成仏

一〇世紀後半になると、浄土教が盛んになり、阿弥陀仏の極楽浄土に往生することを求める思想が発達する。源信げんしん往生要集おうじょうようしゅうでは、阿弥陀仏の極楽浄土への往生を勧めている。そこは六道輪廻を超えた世界で、その世界に行く作法として念仏が重視された。念仏はもともと仏の姿を観想することであったが、より簡便な方法として阿弥陀仏の名前(名号)を唱える称名念仏も認められた。ここにおいて、日本仏教の来世観が、明確な形となった

源信は、二十五三昧会ざんまいえという結社を指導したが、それは往生を目指す結社であり、死後の遺体の処理を含めて定められた

院政期になると、浄土往生の思想は密教的な即身成仏思想と結び付く。この密教的な浄土教を完成させたのが、覚鑁かくばんである。当時は五輪塔が墓標として用いらえたが覚鑁はそれを理路的に基礎づけた。この塔は、仏=世界=身体の統合の場であり、身体を観想の対象とすることで、仏の世界に一体化する即身成仏の作法として発展する。

覚鑁は、このような世界を密厳浄土みつごんじょうどと呼んだが、現世で即身成仏が実現できない場合は、来世に往生して実現を目指すという形で密教と浄土教を結び付けた。この五輪思想は、生者の身体のシンボルであるとともに、死者の身体のシンボルでもあり、それにより死者の即身成仏が実現されると考えられた。このようにして死者供養が根拠づけられた

死者供養の進展

もともと日本では、死者の世界について十分な解明がなされず、特に遺体の処理は難しい問題だった。日本のように湿度が高い場所では、遺体は腐敗しやすく山中への放置やせいぜい浅く埋葬されるだけだった。そのため、遺体は穢れたものとして、避けられた。

平安中期になり源信らによって浄土教が進展すると、状況が変わる。死者の往生を求めることは、同時に遺体に残った霊を鎮め、生者の世界に害を及ぼさないという目的もあったからである。

密教的な呪力は大きな力を発揮する。そして、密教的な力で死者を往生あるいは成仏させる方法は、さまざまな形で転用される。叡尊・忍性の律宗ココ参照)は戒の力で穢れを克服し死者供養を大きく進展させた。禅も禅定の持つ力を強力と考え、死者を成仏させたり、悪霊を鎮めたりする威力を持つものと考えられた。

このように、もともとは現世を超越して悟りを目指す仏教は、密教を源流とする行法の力により現世を脅かす死者や悪霊を鎮めて救済することで現世に秩序を保つことになった。

中世では現世を超える領域を〈冥[みょう]〉と呼び、それに対して現生の人々の力の及ぶ領域を〈顕〉と呼んだが、仏教は〈冥〉の世界にまで及ぶ力を発揮することで、〈顕〉の世界の秩序を守る役割をはたしていたということができる。(抜粋)

このような仏教の力が、後世の葬式仏教を成り立たせる源流と考えられる。近世に確立した仏教的な葬儀は、このような中世的な仏教の考え方をもとなり、それが次第に形式化し、儀礼として完成したものと考えられる。

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