社会活動の二つのパターン — 社会活動する仏教(その1)
末木 文美士 『日本仏教再入門』より

Reading Journal 2nd

『日本仏教再入門』 末木 文美士 編著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

第十章 社会活動する仏教 近代の仏教4(大谷栄一) (その1)

今日から、「第十章 社会活動する仏教」に入る。ここでは、明治時代から現代までの、仏教徒や仏教教団が行った社会活動が紹介されている。大正時代に成立した仏教社会事業は戦後には仏教社会福祉事業へと発展し、仏教徒の政治参加も戦前から行われて、現在では多くの仏教徒が宗教者平和運動を実践している。第十章では明治時代から二一世紀の現在までの日本における仏教徒の社会活動の意味と役割が考察される。

第十章も、節ごとに3つに分けてまとめることにする。今日のところ“その1”では仏教が行った社会活動の二つのパターン、「社会的サービス」「政治的行動主義」が紹介され、そして明治期における仏教慈善事業の展開を追っている。それでは、読み始めよう。

1.社会活動の二つのパターン

渡辺海旭と仏教社会福祉事業

ここではまず、大正時代に成立した仏教社会福祉事業の中心的存在をになった渡辺海旭わたなべかいいきょくを紹介している。海旭は、新仏教徒同志会ココ参照)のメンバーであり、仏教社会事業のリーダーだった。

当時、第一次世界大戦、ロシア革命、米騒動、三・一独立運動が発生し、国内は普選運動、労働運動、農民運動、水平運動、女性解放運動などが起こっていた。この状況で海旭は、新仏教運動の綱領にある「社会の根本的改善」を仏教社会事業により実践しようとした。

社会参加仏教研究

この仏教徒の社会参加活動は、「社会参加仏教(Socially Engaged Buddhism)」という観点から研究が行われている。この「社会参加仏教」は、もともとベトナム戦争の最中に、焼身自殺(焼身供養)によって反戦を訴えた僧侶たちの行為を説明するために用いられた言葉である。

その後、「社会参加仏教」は、一九世紀以降、欧米の近代化社会と出会ったアジア諸地域で、仏教徒たちが様々な問題に対して仏教思想やその精神に基ずく実践により解決をはかろうとする社会活動のあり方を示すようになった。

ここで著者は、「社会参加仏教」という概念は便利であるが、近現代日本の仏教徒の社会活動の中には、当てはまらないこともあるため、本章ではより広い「仏教徒の社会活動」と言うことにすると注意している。

しかし、その類型としては社会参加仏教研究で用いられる

  • 「社会的サービス」
  • 「政治的行動主義」

を用いるとしている。

明治期における仏教慈善事業の展開

日本の近代仏教では、明治期から今日まで「政治的行動主義」よりも「社会サービス」の活動が圧倒的に多い。この活動はキリスト教の影響を受けたものが多い。

明治期に仏教界では、キリスト教を激しく批判した。しかし、医療、児童保護、救貧活動などを行ったプロテスタントの慈善活動に触発され、仏教徒も仏教慈善活動に取り組んだ。

たとえば真宗本願寺派の反省会ココ参照)は廃娼や禁酒、女子教育を推進するキリスト教の影響を受けた矯風きょうふう運動として始まった。反省会に集まった青年僧侶は仏教改革を掲げ、その活動としての一環として、禁酒運動という社会的サービスを行った。

産業資本主義の発達

日清・日露戦争を通じて日本の産業革命が達成され、資本主義が発達した。一方、階級の分化や貧困層が増加し、都市問題、社会問題が発生した。著者は当時の貧困層の様子を記したものとして横山源之助のドキュメント『日本之下層社会』を紹介している。

このような資本主義の形成に伴って発生した社会構造の問題に対して、仏教界は社会慈善活動を展開した。日清・日露戦争間期には、真宗本願寺派の大日本仏教慈善会財団をはじめとした多くの仏教慈善事業が展開した。

新仏教徒同志会ココ参照)は、廃娼運動、禁酒禁煙運動、動物虐待防止運動、実費診療所等の「社会的サービス型」の運動に取り組むとともに、足尾銅山鉱毒事件の支援活動など「政治的行動主義型」の活動も実践した。

そのほか、「政治的行動主義型」の活動をした仏教徒としては、大逆事件に連座した内山愚童うちやまぐどう真宗大谷派の高木顕明たかぎけんみょうがいる。愚童は、『入獄記念 無政府共産』を秘密出版した無政府主義者であり、顕明は、日露戦争時に非戦論を主張した稀有な仏教徒であった。二人とも宗派から僧籍を剥奪され、その思想や活動を継承するものもなかった。


関連図書:横山 源之助 (著)  『日本の下層社会』、岩波書店(岩波文庫)、19852年

コメント

タイトルとURLをコピーしました