仏教伝来と聖徳太子(その3)
末木 文美士 『日本仏教再入門』より

Reading Journal 2nd

『日本仏教再入門』 末木 文美士 編著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

第二章 仏教伝来と聖徳太子 日本仏教の思想1(頼住光子) (その3)

今日のところは「第二章 仏教伝来と聖徳太子」の”その3“である。これまで”その1“において、人間の自我や共同体とその外にあるものとを介在する「超越的なるもの」について考察した。そして”その2“において、日本文化に大きく影響を与えた外来文化として儒教と仏教の日本での受容の違いを示し、日本では、仏教が「超越的なるもの」の供給源となったことを説明する。そして今日のところ”その3“では、聖徳太子の『十七条憲法』にあらわれる「和」の精神について説明し、それが仏教を論拠とすることを示している。それでは読み始めよう。

聖徳太子と「十七条憲法」

十七条憲法の誕生

聖徳太子は、用明天皇の息子で、推古天皇の摂政を務めた。この聖徳太子については、その実在性を含めて議論があるが、後に聖徳太子と呼ばれた人物が推古朝において蘇我氏と協力して、国政を司ったことは確かとされている。そして、「十七条憲法」についても、少なくともその原型は推古朝に遡れる可能性が指摘されている。

当時、中国において律令制を整備した隋が勃興したため、東アジアの情勢は大きく変動し、日本もそれに連動した新たな国政の仕組みを作る必要があった。そのため日本は、諸豪族の連合体を超えた中央集権的官僚制秩序を創設し、「中華」に取り組まれない独立した「天下」の構築が図られた

その一環として生まれたのが、大和朝廷の官人への訓戒である「十七条憲法」である。十七条憲法では、「以和為貴」「篤敬三宝」「承詔必謹」「懲悪勧善」「背私向公」などの心構えが説かれている。

この「十七条憲法」は、北周の六条詔書をはじめとする中国北朝の官僚の倫理規定に類似している。

しかし、これらの中国で成立した官僚の倫理規定は、「和」を冒頭に掲げてはおらず、「和」の強調が「十七条憲法」の大きな特徴となっている点は、注意すべきであろう。(抜粋)

「和を以て貴しと為」とは

ここから、著者は、「十七条憲法」と「和」の精神について考察している。

十七条憲法は、次のように始まっている。

一に曰く、和を以て貴しとさかふること無きをむねと為。人皆たむら有り、亦達またさとる者少なし。是をちて、或いは君父にしたがはず。あるいは隣里にたがへり。かるに上和らぎ下むつびて、事をあげつらふにかなふときは、則ち事理おのづからかよふ。[いずれの事か成らざらん。(抜粋)
【現代語訳】第一条。和を尊重し、人に逆らわないことを心がけよ。世の人はとかく党派を結びがちであり、また、物事を弁えた人は少ないから、主君や親に逆らったり、近隣の人と争ったりする。しかし、上に立つ者が下の者に和らかに接し、下の者も上位者に親しんで、穏やかに議論して調和すれば、物事の理はおのずから明らかになり、何事もうまく行くのである。(抜粋)

第一条では、官人に対する訓戒で最も大切なものとして「和」を説いている。この和は、人と争うことなく調和することを意味する。官人として国政を担うに当たっては、党派性を超えることが必須でそのため「和」が説かれている。

第一条で特に注目したいのが、「事を論らふ」ことの重要性が述べられているということである。つまり、「和」とは、同調圧力によって集団の価値観に盲従したり、上位者の意見に唯々諾々として追従したりというような、悪しき集団主義における「従順」を意味しているのではない。(抜粋)

そのような党派性や偏狭さは、議論により超えていけるものであるという考え方が説かれている。そして、その議論により「理(=物事の正しい道筋)」が自ら浮かび上がってくる。

ここで、同様な発想は、十条、十七条でおいても見られる。

  • 十条:人はみな「凡夫ぼんぷ(=煩悩を離れられない愚かな人)」なので、「是非の理(善悪の理)」を定められる人などはいない。そのため自説だけに執着してはいけない。
  • 十七条:独断専行せずに皆と議論すれば「理」が得られる。

ここで著者は、「十七条憲法」における「和」は、ただ集団に随従し同化するような昨今の「和」とは違い、各人が党派性(=私性)を超えて公共的次元へと跳躍することで維持される「和」である、としている。

「和」の典拠について

この「和」の典拠については、『日本書紀』の研究の中で継続的に行われ、仏教からという説と儒教からという説がある。

著者は、『論語』学而篇で「礼の用は和を貴しと為す(=「礼」の実現のためには「和」が伴わなければならない)」とあり、この部分が十七条憲法と結びつけて語られることは理解できるとしている。しかし、「十七条憲法」冒頭では、「和」のみ示され、原典の「礼」は省かれていることには、注意が必要である。そして、当時は「和」が、必ずしも儒教で中心的な徳目とは考えられていなかった。

つまり、儒教の立場からすれば、「仁義」や「礼楽」を差し置いて「和」を第一に主張するというのは違和感があるのだ。(抜粋)

そのため、儒教の「和」を無視することはできないが、ここでは、仏教における「和」が浮上してくると著者は言っている。

そして、この「十七条憲法」の「和」を、第二条の「篤敬三宝」との関りで仏教の徳目としての「和」について考察している。仏教では、共に成仏を目指す共同体としての僧伽そうぎゃにおける「和」を重視された。そして僧伽の構成員の僧は合議制による平等主義を貫き、互いに調和し修行に励んでいた。

「十七条憲法」が想定する官僚集団も、上下はあるがともに凡夫であるという点では、平等である。そのためそれぞれが「国家永久」(第七条)という目標のために、互いに議論をし、自己絶対を免れつつ「和」を保って、目標の実現をはかる。この点において悟りを求める僧伽と「国家永久」を追求する官僚集団とは共通している。

最後に著者は、この仏教における「和」の理論的基礎は、大乗仏教の「自他不二」にあるとしている。「自他不二」とは、大乗仏教の「空-縁起」思想に基づく考えかたであり、自己と他者とが二元対立的に存在するのではなく、互いが互いを関係の中で成立させ合っており、関係が変わるならば、自己も他者も変容するという関係主義的な見方である。「和」の精神の基盤は、大乗仏教の「自他不二」にある。

以上、「和を以て貴しと為」の「和」について考察してきた。これを通じて、「十七条憲法」の「和」の精神の意義が明らかになったと言えよう。「和」の精神とは、決して、既存の集団に対して何らかの疑問を持たず、何の異論も唱えず従うような態度を良しとするものではなかった。それは、議論によって現れてくる繋がりであり、また、「空 -- 縁起」という、大乗仏教が重んじる根源的かつ超越的次元によって支えられて、そのつど、今、ここに立ち現れる連帯性、調和なのである。(抜粋)

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