「なぜ、緒戦の戦勝に賭けようとしたのか」
加藤陽子『それでも日本人は「戦争」を選んだ』より

Reading Journal 2nd

『それでも日本人は「戦争」を選んだ』加藤 陽子著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

5章 太平洋戦争 なぜ、緒戦の戦勝に賭けようとしたのか

ここで著者は、日本はなぜ緒戦の勝利にかけて国力差から考えると非合理な戦争を始めたのかを、

① 予算
② 軍需物資の生産
③ 先制攻撃

の三つの観点から説明する。

まず、日本は日中戦争の間にしっかりと後の日米との対戦のための資金をしっかりためていたことがあげられるとしている。政府は日中戦争がはじまった三七年に特別会計で「臨時軍事費」を計上する。この特別会計とは、会計年度が戦争の開始から戦争の終わりまでとする会計制度で、この制度を利用して日中戦争の間にも軍需品をためていた。
次に著者は、当時の各国の軍需物質の生産について資料を基に説明をする。それによると、太平洋戦争が始まる前の軍需物資の生産能力は、ソ連を日独伊のグループにつければ英米仏と比べてもかなりいい線までいけそうで、日本側にはそのような見込みがあった。しかし、それは戦争が始まる前の話である。実際に戦争が終わる四五年のアメリカの飛行機の生産能力は、日本の十五倍程度になった。日本はアメリカが実際に力を出す前に戦争を始めるほうが有利との考え方があった。
最後にどうして真珠湾に奇襲攻撃をかけたかを著者は説明をする。この奇襲攻撃は海軍の山本五十六が考えた攻撃である。山本は港に艦艇が集まっているときに奇襲攻撃をかけて戦艦や空母を沈めてしまえば、アメリカが艦艇を建造するのに一、二年かかる。そうすればその間に十分な空港を日本、朝鮮半島、台湾や周辺の東南アジアに作り制空権を握ることを考えていた。

次に著者は、日本が速戦即決戦以外のプランが可能だったかを考えるために、日本と同じように電撃戦をやりたい当時のドイツを例に挙げて考えている。一九三九年時点でもドイツは 日本より金の保有量は外貨準備がすくなかった。そのためドイツは、日中戦争ごろまではソ連と中国と仲良くして経済合理的に資源獲得に努めていた。しかし、ソ連が世界の共産化を考えていると確信したドイツは、これまでの親中的な態度を変え日本支持の政策をとる。その理由は、日本は地政学的にソ連に対する天然の要塞であったからである。ここで重要なのはドイツが中国を捨てたことである。このことにより中国政府は中国共産党がソ連と結びつく前にと、ソ連と接近することになった。

日独の接近は中国とソ連の接近をもたらす。その裏面には、共産主義をどうするのかというイデオロギーと地政学があった。持久戦争を本当のところで戦えない国であるとドイツと日本であるからこそ、アジアとヨーロッパの二ヵ所からソ連を同時に牽制しようと考える。アジアの戦争である日中戦争が第二次世界大戦の一部になってゆくのは、このような地政学があったからです。(抜粋)

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