『それでも日本人は「戦争」を選んだ』加藤 陽子著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
4章 満州事変と日中戦争 戦争の時代へ(後半)
日中戦争は偶発的な戦闘から発展したが、この戦争がどうしてこのように拡大したかを、著者は中国の外交戦略から考えていく。そして、戦争が拡大した背景には、中国の胡適(こてき)などの政治家の覚悟があったとしている。蒋介石が抜擢した外交官僚の中に胡適がいた。彼は日中戦争がはじまる前の一九三五年に「日本切腹、中国介錯論」を唱えた。胡適は、この時点で二大強国となることが明らかになったアメリカとソ連の力を借りなければ中国は救われないと考えた。しかし、その時点では、アメリカ、ソ連共に軍備が不十分で軍備の整っている日本を防ぐことができない。日本は両国の軍備が整う前に中国に戦争を仕掛けてくると考える。そしてその時でもアメリカやソ連は、日本と敵対することを怖れて干渉してはこないと予想する。
胡適は、「アメリカとソビエトをこの問題に巻き込むためには、中国が日本との戦争をまずは正面から引き受けて、二、三年間、負け続けることだ」といいます。(抜粋)
胡適は、これからは日本軍が攻めてきたら中国軍は絶対に逃げずに膨大な犠牲を払っても戦い続ける必要があると蒋介石やナンバー2だった汪兆銘(おうちょうめい)に訴える。そして一九三七年に日中戦争がはじまった。著者は一九三五年の胡適の予想は、その後の歴史を言い当てていると指摘する。
次に著者は、胡適に匹敵する中国の政治家として汪兆銘の名をあげる。国民政府のナンバー2であった汪兆銘は、
「胡適のいうことはよくわかる。けれども、そのように三年、四年にわたる激しい戦争を日本とやっている間に、中国はソビエト化してしまう」(抜粋)
と言って胡適と論争をする。汪は、中国が日本と争っている間に国民党は敗北し共産党の天下になってしまうとして、日本と妥協する道を選ぶ。汪は蒋介石を裏切りベトナムのハノイに逃れて日本の傀儡政権を南京に作った。
ここまで覚悟している人たちが中国にいたのですから、絶対に戦争は中途半端なかたちでは終わりません。・・・・中略・・・・・普通、こうなればほとんどの国は手を上げるはずです。常識的には降伏する状態なのです。しかし、中国は戦争を止めようとはいいません。胡適などの深い決意、そして汪兆銘のもう一つの深い決意、こうした思想が国を支えたのだと思います。(抜粋)
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