『それでも日本人は「戦争」を選んだ』加藤 陽子著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
4章 満州事変と日中戦争 満州事変はなぜ起こされたのか
著者は、序章(ココ参照)で解説した「戦争は、相手国の主権や社会の基本原理が攻撃されたときに起こる」ことに再度触れたのち、満州事変以前の日本は前章のような状態であり、
満州問題というのは、日本人自らの主権を脅かされた、あるいは自らの社会を成り立たせてきた基本原理に対する挑戦だ、と考える雰囲気が広がっていたことを意味していたのではないでしょうか。(抜粋)
としている。ここでは、日本の満蒙問題について書かれている。
一九三〇年、松岡洋右は、幣原紀重量外相のすすめる協調外交への批判演説で「満蒙は我が国の生命線」であると演説した。ここでいう生命線は、1章(ココ参照)のシュタインが言った主権線・利益線と同じ意味である。しかし、日清・日露戦争当時の日本に大切なのは朝鮮で、第一次世界大戦時は遼東半島であった。では、なぜこのころになると満蒙(南満州と東部内蒙古を合わせた地域)が日本にとって重要な地域になったか?
日露戦争が終わると日本はロシアとむしろ協調し満州地域を北はロシア、南は日本の勢力圏にすると秘密条約を結ぶ(一九〇七年、明治四十年)。さらに北京を通る経度で、それより東の内蒙古を日本、西をロシアの勢力圏にする秘密条約を結んだ(一九一二年)。当時、中国は清朝が倒れ新国家が誕生しようとしていた。ここでイギリスは米独仏を誘って自らのリーダーシップを維持しようとしていた。そして、それに日本とロシアは反発し中国問題に関してお互いの勢力範囲を認め合うことで共闘を組んでいた。
ところが、一九一七年に起こった革命によって帝政ロシアが倒れて、日本は共闘の相手を失ってしまう。さらに清朝が亡び中華民国が成立する。ここで問題になったのは、日露講和条約で認められた諸権利と、それに基づいて日本と中国政府間で結ばれた「満州に関する日清条約」の解釈であった。このような条約自体は国際法の慣例で帝政ロシアが滅んだあとも有効であるが、その解釈に関する違い(グレーゾーン)が、だんだんと目立ってくる。
このグレーゾーンは主に次の二つであった
① 日本側が中東鉄道南支線に、鉄道守備兵を置く権利(鉄道守備兵設置権)
② 満鉄の併行線になりうる幹線と支線を中国側が敷設できない取り決め(満鉄併行線禁止条項)
このような満蒙特殊権益が外国勢力から承認されていないのでは、という自覚が、満州事変が起こされるまでは、日本政府のなかにあった。そしてそのような分析のうえで日本は、東三省に権益のある張学良を通じて、平和裡に満州権益を守ればよいとしていた。しかし、陸軍のなかには、張学良政権を倒して国民政府から満蒙を分離しようという勢力が生まれていた。
そして、軍は国防思想普及後援会などを通じて国民を扇動した(『総動員帝国』岩波書店)。
中国は、条約上、日本が認められた権利を侵害している国であるとの議論ですね。そうした中国の条約侵害によって、日本の生存権が脅かされている、こういって軍は煽ったわけです。これではルソーがいう、原理的な対立になってしまいます。(抜粋)
(「ルソーがいう」はココを参照)
日本側には命とお金をかけて戦った戦争で締結した条約と権益を死守しようという思いが強くあった。
次に陸軍が満蒙に深く関与した理由について述べられている。当時、勢力範囲にするという意味と特殊権益を有するという意味は同じと考えられてきた。日本がいくら勢力範囲(特殊権益)といっても、鉱山や道路などの「施設・経営」の実態がなければ、なかなかロシア以外の列強は認めてくれなかった。そのため、しばしばその既成事実を作るために陸軍参謀本部・外務省・商社などが動いた。陸軍は、この問題に深く関与する主体であった。
これより、東部内蒙古がどのように特殊権益に組み込まれたかを具体的にのべられる。
陸軍からすれば、自らが汗を流して獲得した東部内蒙古を含む満蒙権益を中国政府が軽んじようとするのはとうてい許しがたい。という認識になるでしょう。(抜粋)
日本の満蒙への投資額は、日本政府が深くかかわっている満鉄を加えると、国家関連の投資がだいぶぶん(85%)であり、健全な批判が起こりづらい状態となっていた。そして何かが起これば国の望む方向に人々が動くことが予想される状態と著者は述べている。
関連書:ルイーズ・ヤング(著)『総動員帝国』岩波書店2001年
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