「植民地を持てた時代、持てなくなった時代」(その2)
加藤陽子『それでも日本人は「戦争」を選んだ』より

Reading Journal 2nd

『それでも日本人は「戦争」を選んだ』加藤 陽子著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

3章 第一次世界大戦 植民地を持てた時代、持てなくなった時代(後半)

ここより日本の植民地獲得の一貫性に話が移る。

植民地に批判的な考え方が生まれ統治は国際連盟からの委任となったが、この委任統治は事実上の植民地であった。
日本の植民地支配の特徴について研究したマーク・ピーティーは、日本の植民地支配について

近代植民地帝国の中で、これほどはっきりと戦略的な思考に導かれ、また、当局者の間にこれほど慎重な考察と広範な見解の一致が見られた国はない。(抜粋)
日本の植民地はすべて、その獲得が日本の戦略的利益に合致するという最高レベルでの慎重な決定に基づいて領有された。(抜粋)

と言っている。
著者は、この「戦略的」というところが重要だと指摘している。つまり日本が獲得した植民地はすべて安全保障上の利益に合致する。

この点を考えると、日本から遠いヨーロッパの戦争である第一次世界大戦に日本が関わったかがわかる。

第一次世界大戦では、日本は日英同盟を理由に強引にドイツに宣戦布告をして、当時ドイツ領だった山東半島の権益と南洋諸島を奪う。この行動は、日本の安全保障上の利益に合致していた。
日露戦争が終わったあと、一九〇七年のアメリカでは「ウォー・スケア」(=日本が海を越えて襲ってくるのではないかという根拠のない恐れ)が起き、日本人への迫害が行われた。このように日米関係が悪化するなかで、ドイツが持っている南洋諸島の重要性に気がつく。これらの島国は、日本とアメリカとの戦略上に重要な位置を占めていた。
また、山東半島、の青島(チンタオ)から延びる膠済(こうさい)鉄道を得ることにより、中国での戦略上とても有利な位置を占めた。

海陸両方か北京を攻められる条件に恵まれている国というのは、いままでになかった。「陸と海から行きますよ」というのは、やはり、中国に地理的に近い帝国としての日本の有利さだった。(抜粋)

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