『それでも日本人は「戦争」を選んだ』加藤 陽子著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
1章 日清戦争 民権論者は世界をどう見ていたのか [後半]
次に日清戦争が始まるころの人々の戦争に対する感覚について考察する。日清戦争が始まるころ人々は、かなり好戦的であったと当時の新聞などの資料を使って示している。
自由党の一般市民向けの新聞『自由燈』では、外交問題をしっかりと見ていなければロシアの属国になってしまうと脅かし、知識人向けの新聞『自由党報』の主張も山県らの主張とあまり変わるところがない。
このように民権派や福沢も日清戦争には賛成していた。これには二つ理由があり、一つは、
日清戦争に勝って、朝鮮に対する経済的政治的な影響力を独占できれば、日本の市場を拡大できる、(抜粋)
さらには、当時はポストを藩閥政府が独占していたが、朝鮮を日本の勢力圏に入れてそのポストを藩閥から漏れてしまった民党のメンバーも食い込めることになるという理由。
福沢がいったのは、「今こそ民党は新たに植民地を獲得して、そこで官僚という、いままで自分たちが食い込めなかった行政に食い込め」ということなのです。これが自由党などが戦争に反対して議会でそれほど強く抵抗しなかった理由の一つです。(抜粋)
二つ目は、当時の議会で戦費の予算を通過させるときに、民党は地租を上げるのではなく政費の削減を強く主張し、それを認めさた。つまり戦費を作ったのは我々だという強い自負持ったことである。
そこで、どういう発想になるかというと、自由党にしろ改進党にしろ、戦費をつくったのは私たちが政費削減を国家に強いたからですよ、という自負になります。(抜粋)
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