婉曲法 / 逆言法 
瀨戸 賢一 『日本語のレトリック』 より

Reading Journal 2nd

『日本語のレトリック』 瀨戸賢一 著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

婉曲法 ズバリ言わない(意味のレトリック3 意味を迂回する)

婉曲法えんきよくほうは、言いにくいことを遠回しにいう用法である。ここで著者は、三浦哲郎の短編小説「とんかつ」(『みちづれ』)の一節を引用している。この引用部で「厄介なお客」「亡くなった」「湯をつかっている」が婉曲法である。

この婉曲法は、「提喩ていゆ」「隠喩いんゆ」「換喩かんゆ」が関わっている。

  • 「厄介なお客」・・・提喩による婉曲法。厄介という広い範囲を指す表現(類)をもって、心中(をしそう)という狭い範囲を指す意味(種)を伝えている。
  • 「亡くなった」・・・隠喩による婉曲法。
  • 「湯を使っている」・・・換喩による婉曲法。湯を使うことは、風呂に入ること全体の一部である。
ひとことで言えば、婉曲法は、提喩のぼかす、隠喩のうつす、換喩のずらすはたらきによって、そのものズバリを避けて遠回しに言う表現法です。(抜粋)

婉曲法は、いつも善人の顔を示すとは限らない。「賄賂わいろ」 ⇒ 「政治資金」、「買収」 ⇒ 「接待」、「売春」 ⇒ 「援助交際」となると注意が必要である。


関連図書:三浦哲郎(著)『みちづれ』、新潮社(新潮文庫)、1998年

逆言法 言わないといって言う(意味のレトリック3 意味を迂回する)

「逆言法」は、「言わない」「言えない」と言って、言いがたいことを口にしたり、あるいは、「言うまでもない」と言って、実は言いたいことを言葉にする表現である。

著者は、この「逆言法」の例を清少納言の『枕草子』から引用する。

冬はつとめて。雪の降りたるはいふべきにもあらず。(抜粋)

ここでの「いふべきにもあらず」が、逆言法である。

さらに現代の例として、山崎豊子の『沈まぬ太陽』から引用し説明をしている。

「ことばでは言い表せない恐怖」「筆舌ひつぜつに尽くしがたい屈辱」「なんとも言いようのない喜び」「ことばを超絶した真実」なども、すべてことばの範囲内の表現だと理解できます。ことばの範囲を本当に超えれば、絶句ぜっくするしか仕方ありません。(抜粋)

さらに逆言法の不思議な用法として、養老猛司ようろうたけしの『考える人』から

ふつうなら、寝ているときでも、呼吸は自然に起こっている。人間は寝ていても、呼吸中枢は寝ていないわけである。呼吸中枢がやすんだら、どうなるの。呼吸がとまってしまう。自然にそういうことが起こると、脅かすわけでないが、死ぬことになる。(抜粋)

と引用している。ここでの「脅かすわけでないが」が問題の逆言法である。脅かすわけで「ない」と言っておきながら、実際には「死ぬことになる」と脅している。

この種の逆言法は、すべて同じパタンで「~~するわけでないが」としたうえで、かならず「~~」の内容の言葉が来る。


関連図書:
清少納言(著)『枕草子(ビギナーズ・クラッシックス 日本の古典)』、角川書店(角川文庫ソフィア)、2001年
山崎豊子(著)『沈まぬ太陽(一)-(五)』、新潮社(新潮文庫)、2001年
養老猛司(著)『考える人』、筑摩書房(ちくま文庫)、2015年

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