『日本語の古典』 山口 仲美 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
III 乱世を生きた人は語るーーー鎌倉・室町時代 20 風姿花伝ーー経験と情熱の能楽論
今日のところは、今までとは少し毛色が変わって『風姿花伝』である。能の奥義を語り、観世家や金春家に「一子相伝」で伝えられた書物である。そのため長い間存在すら知られず、一般に知られるようになったのは、明治四二年(一九〇九)である。著者は、能楽という特殊な舞台芸能の本なのに、なぜこんなに多くの人々に感銘を与えたのかを探りたいとしている。今回のテーマは「経験と情熱の能楽論」。さて読み始めよう。
風姿花伝
『風姿花伝』は、以下の七編からなる。
- 第一篇 「年来稽古条々」
- 第二篇 「物学条々」
- 第三篇 「問答条々」
- 第四篇 「神儀に云はく」
- 第五篇 「奥義に云はく」(ただしここは篇の番号がなく、タイトルだけ)
- 第六篇 「花修に云はく」
- 第七篇 「別紙口伝」
『風姿花伝』には、人生の本質を突いた発言が随所に見られ、そのため芸能論にとどまらず、教育論、人生論としても通用する。たとえば
- 「秘すれば花なり、秘さずは花なるべからずとなり、この分け目を知る事、肝要の花なり(=秘密にしているからこそ花になる。秘密にしないならば花になり得ない。その花となり、花とならない理由を分別できることこそ花の秘密なのだ)」。
- 「上手は下手の手本、下手は上手の手本なり」(第三篇)
- そもそも芸能というのは世の人の心を楽しませ、幸せをもたらすためにあるのだ(第四篇)
- 能の技量だけあったその本質を知らない人よりは、本質を知っていて技量の劣る人のほうが芸の出来が安定している(第六篇)
「年来稽古条々」の具体例
年来稽古条々では、能楽者の一生を年齢によって、「七歳」「一二、三歳」「一七、八歳」「二四、五歳」「三四、五歳」「四四、五歳」「五〇有余」の七期に分ける。
「七歳」
能の稽古は「七歳」の頃に始まる。そのころの稽古は、
「自然とし出す事に、得たる風体あるべし。(中略)ふとし出ださんかかりを、うちまかせて、心のままにさせすべし(=その子が自然にやりだす事に、必ず生まれつきの長所が発揮されている芸風があるものだ。(中略)当人が自然にやりだす趣を干渉せずに自由にやらせなさい)」。(抜粋)
と言っている。そして、
「時分のよからんずるに、得たらん風体をせさすべし(=よい頃合いを見計らって、得意としている芸をみんなの前で披露させなさい)」。(抜粋)
とし、立派な教育論となっている。
「一二、三歳」
一二、三歳頃は、まだ元服前の垂れ髪姿の少年である。
「何としたるも幽玄なり(=どう演じても幽玄である)」。(抜粋)
ここで「幽玄」という言葉が出てくる。著者は、『風姿花伝』での「幽玄」は、「深い情趣・余情」のような深い意味ではなく「美しさ」「はなやかさ」「優美さ」を意味するものばかりであると、指摘している。第三篇にも
「何と見るも花やかなる為手、これ、幽玄なり(=どんなものかと何度見ても花やかな演者がいる、それこそが幽玄なのだ)」。(抜粋)
とあり、ここの「幽玄」も外から見える優美な姿である。
世阿弥の言葉は、「幽玄」のように独時な意味を持っていることが多い。
同じように「花」も、いろいろな意味にとれる比喩的な言葉で魅力的である。
「一二、三歳」の条にも
「この頃の稽古、易き所を花に当てて、わざをば大事にすべし」(抜粋)
とある。ここの「花」は「観客を魅了するもの」という意味でつかわれている。
こんなふうに、普通とは違った独自の意味合いで言葉を使ったり、さまざまな意味にとれる比喩的な言葉遣いであったりすることが、彼の文章に含蓄を与えています。これも、「風姿花伝」の評価を高めている一つの要因です。(抜粋)
「一七、八歳」
この頃は、変声期であり体型も腰高になり、少年期のように上手くいかなくなる。このころに自信を失うことが多い。そのため
「一期の境ここなり(=一生の境目が今なのだ)」。(抜粋)
と思って稽古に励むしかない。
「二四、五歳」
この時期は、生涯の芸が確立する初期段階である。時に名人と呼ばれた人に勝ったりすることもある。しかし、
「当座の花にめづらしくして(=若さの魅力が新鮮で)」(抜粋)
勝っただけなので、本人が自分は上手なのだと思い込むことは、害になる。
「この頃の花こそ初心」(抜粋)
という段階なのに、奥義を極めた名手のような演じ方をするのは、
「あさましき事なり」(抜粋)
である。
今の名声は、一時的な珍しさのためだと思って、以前にもまして稽古に励まなくてはならない。
「三四、五歳」
このころに、天下の人に認められず、待遇も良くないなら、
「まことの花」(抜粋)
を体得しきっていない演者と心得るべきである。ここで著者は、世阿弥がこれほど真に迫る卓論を展開できた理由を、次にように説明している。
彼が評論家でなく、あくまで演じている能役者の立場から記述しているからです。自らの敬虔から導き出された理論だからこそ、パワーがあり、説得力がある。その証拠に体験に裏付けられていない「四、五歳」「五〇有余」となると、俄かに勢いがなくなります。(抜粋)
ここでうまく、今回のテーマ「経験と情熱の能楽論」に着地しましたね。(つくジー)
「四四、五歳」
身体的な花も観客に移る花も消えてしまうので「若手の主役に花を持たせて、自分は引き立て役のつもりで控えめに少数の曲を主役に演じるべきだ」。
「五〇有余」
「麒麟もおいては駑馬に劣る」(抜粋)
のでもう演じないという以外に手段はない。
『風姿花伝』の第三篇までは、世阿弥が三八歳のころに執筆を終えている。そのため「四四、五歳」「五〇有余」の部分は、まだ自敬虔の事柄であった。
未経験の事柄は、評論家でない彼には、手に余る部分だった。代わりに経験した部分については誰にも負けないほど卓見を吐いた。しかも、その卓見は、能という一つの道に命をかけた人間の情熱に裏打ちされていた。それが読者に伝わり、読者は『風姿花伝』に魅了されてしまうのです。(抜粋)
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