徒然草ーー兼好法師は女嫌いか
山口 仲美 『日本語の古典』 より

Reading Journal 2nd

『日本語の古典』 山口 仲美 著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

III 乱世を生きた人は語るーーー鎌倉・室町時代
   18 徒然草ーー兼好法師は女嫌いか

今日のところはつれづれぐさである。著者は、高校のときに古典の先生に憧れ、そして認めてもらいたくて『徒然草』を全文品詞分解したという思い出があるという。そして、品詞分解をしながら読み進めていると、「男と女について述べてあることに強く反応した」と言っている。そこで、今回のテーマは「兼好法師は女嫌いか」!では読み始めよう。

『徒然草』の作者は、うらかねよし。南北朝時代に生きた人で蔵人として御二条天皇に仕えた。その後、三〇歳のころに出家している。

著者は、兼好法師の男と女について述べてある部分を次のように引用する。

よろづにいみじくとも、色好まざらんをとこは、いとさうざうしく、玉のさかづきそこなき心地ぞすべき(=万事にすぐれていても、恋愛の情を解しない男は、ほんとに殺風景で、美しい杯の底がない気がする)」(三段)。(抜粋)
久米の仙人の、物洗ふ女のはぎの白きを見て、通を失ひけんは、誠に手足・はだへなどのきよらに、肥えあぶらづきたらんは、ほかの色ならねば、さもあらんかし(=久米の仙人が、川で洗濯をしている女のすねの白いのを見て、空を飛ぶ神通力を失って地上に落ちたとかいうことは、まったく女の手足や肌などが美しくまるまるとつややかなのは、他の色と違って、肉体そのものの持っている色気だから、なるほど、そうもあろうよと思われるよ)」(八段)(抜粋)
「女の髪の毛をって作った網には、大きな象もしかりとつなぎとめられ、女の履いた下駄で作った鹿笛には秋の雄鹿が必ず立ち寄ってくると言われている。」(九段)(抜粋)

このように、兼好法師は、お坊さんなのに女性に対して好意的な発言をしている。ところがである。『徒然草』を後ろの章段まで進むと、これとは真逆に痛烈な女性批判が現れる。

女のしょうは皆ひがりめ。にんの相深く、どんよく甚だしく、もののことわりを知らず(=女の本性は皆ねじ曲がっている。我執が強く、欲張ることはなはだしいく、物の道理をわきまえず)」。(抜粋)
すはほならずしてつたなきものは女なり(=素直でなくて、愚かなものは、女である)」(抜粋)
もし、賢女あらば、それもものうとく、すさまじかりなん(=賢女がいたら、それも、何となく、親しみにくく興ざめに違いない)」。(抜粋)
といふものこそ、男の持つまじきものなれ(=妻というものこそ、男の持ってはなるまいものである)」(一九〇段)(抜粋)

このように、後の章段では、兼好法師は女嫌いに見えてくる。

兼好法師の女性の見方の逆転は、『徒然草』の成立過程が関係している。『徒然草』は、大きく二段階の成立過程を経ていて、二四三段の内、前半の三二段までは、出家してからさほど年数を経ていない時期に書かれた。そして後半の章段はそれより十年以上後に書かれている(やすおか康作『徒然草全注釈』)。

この後段の女性への論調の違いを「悟り」にととられる人もいるが、著者は、「悟り」にいたる前の「あがき」であるとしている。

前半と後半の落差は、コインの表と裏に過ぎない。これが、私の解釈です。兼好さんは、女性への興味関心は最後まで一貫して持っていた。女嫌いどころか、生涯女への興味を持って捨てきれずにいたのである。そして、そこにこそ『徒然草』の文学としての魅力が潜んでいる!(抜粋)

そして、最後に著者は『徒然草』の他の部分、つまり人間論、人生論、処世術、住居論、芸術論、自然観照論、説話、ゆうそくじつ、には真実を鋭く突いている話題が多くある、と付け加えている。


関連図書:安良岡 康作(著)『徒然草全注釈』(上・下)、角川書店(日本古典評釈・全注釈叢書)、1967、68年

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