戦局悪化のなかの海没死と特攻 — 死にゆく兵士たち(その2)
吉田 裕 『日本軍兵士』より

Reading Journal 2nd

『日本軍兵士』 吉田 裕 著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

第1章 死にゆく兵士たち — 絶望的抗戦期の実体I (その2)

今日のところは「第1章 死にゆく兵士たち — 絶望的抗戦期の実体I」の“その2”である。“その1”では、アジア・太平洋戦争に特徴的な「戦病死者」の多さの問題を解説された後、戦病死者のなかで重要な「餓死者」の問題が取り扱われた。今日のところ“その2”では、絶望的抗戦期に特有の「海没死」「特攻死」の問題を中心にその状況が明らかにされる。それでは、読み始めよう。

2 戦局悪化のなかの海没死と特攻

この絶望的抗戦期に特有の死のありようとして、大量の海没死と特攻死がある。第2節では、この「海没死」「特攻死」が取り扱われている。

海没死 — 三五万人を超える海没死

膨大な海没者数

この海没死とは、艦船の沈没に伴う死者のことである。ここで著者は、この海没死の死者数に関しては、『旧日本陸軍の生態学』に詳細な検討が加えられているので、ここではその概数だけを示すとしている。

この海没死の概数は、

  • 海軍軍人・軍属:一八万二〇〇〇人
  • 旧陸軍軍人・軍属:一七万六〇〇〇人

合わせて、三五万八〇〇〇人『太平洋戦争沈没艦船遺体調査大鑑』)である。そして、その半数は溺水死である(「艦船輸送衛生」)。

米軍潜水艦作戦と日本軍の輸送船

この多数の海没者を出した最大の要因は、アメリカ軍の潜水艦作戦の成功である。米海軍は、問題であった魚雷の不発や早発の問題を克服し、さらに日本商船の暗号解読に成功し、船団の待ち伏せ攻撃が可能となった。

さらに日本軍の輸送船は大部分が徴傭した貨物船であり、その改造した狭い居住空間に多数の兵士を押し込めた。そのため、沈没の際に全員が脱出することが不可能だった。

また、軍隊輸送では坪当たり三ないし四人もの兵士を詰め込んだため、身動きも取れず、船内温度の上昇のため、うつ熱病(熱射病)となり、体温の著しい上昇、急性循環不全、全身痙攣などの中枢神経障害を起こして多くの兵士が死亡した。

アジア・太平洋戦争中の急増する船需要に対応するため、多数の戦時標準戦を設計・建造した。それらは、建造数を増加させることを優先させたため、低性能の船舶となった。

輸送船やタンカーは、潜水艦や航空機の攻撃に備えて船団を組み海軍の艦艇の護衛を受けたが、船団の中に八ノット(時速15キロ)という低速船舶が存在すると船団全体がその船舶に合わせざるを得なくなる。

その結果、「八ノット船団」などと呼ばれる低速船団が普通となり、船団護衛はますます困難になった。(抜粋)
攻撃による被害と大誠丸の悲劇

この輸送船が魚雷や爆弾による攻撃を受けると、まずその爆発により戦死者、負傷者がでる。そして船内はパニックになり、失神するもの、精神に異常をきたすものが続発する。そして、船外に脱出しても、今度は積載しているボート、いかだ、すがりつく浮遊物などの奪い合いが起こる。

ここで著者は、この奪い合いの事例の一つとして「大盛丸の悲劇」について触れている。この大盛丸に海上機動第三旅団などが乗船し函館に向かっているときに、潜水艦の攻撃を受け沈没した。

同部隊の隊員だった小屋敷清は、「海中を漂流している兵が助けを求めて『大発』(上陸用舟艇)にすがりつくのを将校が刀でその腕を斬りおとすのを何件か見た」(腕の無い死体も浜辺に流れついた)」と証言している(『戦争体験の記録と語りに関する資料調査I』 )。(抜粋)

この話を題材に、吉村昭は、「海の柩」『総員起シ』所収)という小説を書いている。

圧低傷と水中爆傷

海没死に関わる戦傷として「圧低傷」「水中爆傷」がある。

「圧低傷」というのは、一般には、高所から足を下にして地上の堅い床などに墜落した際の衝撃による損傷である。しかし、艦船が触雷(機雷・魚雷)により爆破されると、下からの強大な衝撃により艦上、あるいは海中に放り出され、重傷の圧低傷を負う。になっている。

「水中爆傷」は、水中を泳いでいる時、爆雷(潜水艦を攻撃するために投下する兵器)の爆発に遭遇したものが、身体になんの損傷がないのに、次第に腹部が膨れ、腹痛がひどくなり、憔悴しきって死亡するというものである。

この「水中爆傷」は、水中に泳いでいるときに、爆雷の爆発にあうと、その水中衝撃で腸管破裂を生じ、腹膜炎を起こすものである。その特徴から腹壁を介しての衝撃ではなく、肛門からの水圧が腸内に波及し、内部から腸壁を破ったものと推測される。

海没に伴う精神的ダメージ

海没では、精神的ダメージも無視できない。そもそも船舶の損失が激増するようになると、出向前から兵士たちに不安が広がった。そして船が沈没するとなると「とつぜん発狂者が続出」する事態となった。さらに、救助された兵士たちの精神状態も深刻であり、通常、救助後、相当期間精神的感作、特に恐怖感大して、軍務につかせるには支障がでた。

ここで著者は、人員や軍備品などとおともに、部隊の団結の象徴であった軍旗を海没した部隊もあったし、それは、「天皇の軍隊」の崩壊を象徴するような出来事であったと、指摘している。

特攻死 —- 過大な期待と現実

絶望的抗戦期に固有の戦死のありようとしては、よく知られているように、特攻死がある。(抜粋)
航空特攻と「桜花」の事例

特攻隊(特別攻撃隊)は、航空特攻の他に海上特攻(「震洋」、マルレ艇など)、水中特攻(「回天」)があるが、本書では、航空特攻が取り上げられている

航空特攻は、フィリピン防衛戦時の神風特別特攻隊(正式名称は「しんぷう」)が最初である。当初の目的は、体当たり攻撃によりアメリカの空母の飛行甲板を一時的に使用不能にすることで、撃沈そのものを狙ったものではなかった。しかし、それが次第にエスカレートし、沖縄戦の段階では、特攻攻撃が陸海軍の主要な戦法となった。

そして、この特攻作戦には、過大な期待も生まれた。著者は、その例として、人間爆弾「桜花」の事例を示している。及川古志郎海軍大将はこの桜花によって、戦勢を取り戻し「マリアナ」くらいまでは、取り戻したいと語ったという。

「桜花」は、ロケット推進機を装備した一人乗りの小型グライダーである。母機の一式陸上攻撃機に懸吊けんちょうされて離陸し、敵の艦隊に接近したところで、母機から切り離し、滑空しながら目標に向かって体当たり直前にロケット推進機に点火する体当たりを行う。しかし、二トンを超える重量の「桜花」を懸吊した母機自体の速度や運動性能が大きく低下し、「桜花」の発進前に母機とともに撃墜されることが多く、ほとんど戦果をあげられなかった

航空特攻の戦果と戦死者

この航空特攻による戦果は、

  • 正規空母:撃沈ゼロ、撃破二六
  • 護衛空母(商船を改造した小型空母):撃沈三、撃破一八
  • 戦艦:撃沈ゼロ、撃破一五
  • 巡洋艦:撃沈ゼロ、撃破二二
  • 駆逐艦:撃沈一三、撃破一〇九
  • その他(輸送船、上陸艇など):撃沈三一、撃破二一九

である。撃沈の合計は四七隻にすぎず、主に小型艦艇を沈没させているだけで大型艦の撃沈に成功していない。

そして特攻による戦死者数は、海軍が二四三一人陸軍が一四一七人計三八四八人である。(「特攻 — 戦争と日本人」)

アメリカ軍の特攻対策

戦果があまりあがらなかった理由として、アメリカ軍の対策がある。アメリカ軍は、フィリピン対戦以降に特攻作戦に対する対策を強化した。艦隊の前方に大型レーダーを装備した駆逐艦などのレーダーピケット艦を配備し警戒と迎撃戦闘機の誘導に当たらせた。特攻機はこの防止戦(ピケットライン)を簡単には突破できなかった。

特攻機は旧式機が多く、重い爆弾を積んでいたため米軍の迎撃戦闘機の餌食になった。また、米海軍のVT信管(電波を利用して、目標に近接すれば自動的に起爆する信管)つき対空砲壇は、対空戦闘で大きな威力を発揮した。

特攻の破壊力

さらに特攻の破壊力にも問題があった。

航空機による通常の攻撃法では、落下する爆弾に加速度がつくため破壊力や貫通力はより大きなものとなる。しかし、体当たり攻撃では、急降下する特攻機自体に揚力が生じ、いわば機自体がエアブレーキの役割を果たしてしまうため、機体に装着した爆弾の破壊力や貫通力は、爆弾を投下する通常の攻撃法より、かなり小さいものとなる。体当たり攻撃で大型艦を撃沈できないのは、この理由である。(抜粋)

この爆弾を実装したままの体当たり攻撃の限界は、特攻隊員の中でも自覚されていて、スキップボミング(反跳爆撃)と呼ばれる方法、つまり爆弾を投下したのちに体当たりする攻撃が構想されていた。


ここの、特攻が通常の攻撃よりも破壊力が小さいという話は、びっくりしたというか、唖然とした。通常の攻撃よりも破壊力の弱い攻撃のために多くの人命を犠牲にしたってことである。いっぱい火薬をしょって重くなり、敵艦に近づく前に撃ち落されちゃうってのは、人の愚かさの範囲だと思うが・・・・・わざわざ、なんで、破壊力の弱い攻撃に賭けしまったのか、言葉にもないことです。(つくジー)


関連図書:
秦 郁彦 (著)『旧日本陸海軍の生態学 – 組織・戦闘・事件』、中央公論新社 (中公選書 19)、2014年
吉村 昭(著)『新装版 総員起シ』、文藝春秋(文春文庫)、2014年
栗原 俊雄(著)『特攻―戦争と日本人』、中央公論新社(中公eブックス)、2016年

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