『なぜ古典を読むのか』 イタノ・カルヴィーノ 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
天、人間、ゾウ(前半)
今日から「天、人間、ゾウ」に入る。本章はプリニウスの『博物誌』の論考である。この本は、現存する最古の百科事典である。
本章は、”前半“と”後半“に分けてまとめるとし、今日のところ”前半“では、プリニウスの『博物誌』の概要やその内容、プリニウスの考え方やその散文の特徴、さらに、「海のかなたに生息する様々な人種の一覧表」など、有名な部分について書かれている。それでは読み始めよう
プリニウスの『博物誌』、カルヴァーノの推薦の巻
まず冒頭にプリニウスの『植物誌』の中で、カルヴィーノが推薦する巻が紹介されている。
- 巻2:宇宙について:プリニウスの哲学的要素が含まれている
- 巻7:人間について:2巻と同じ
- 巻8:陸生動物について:プリニウスの博学と幻想の力量が顕著に現れている
である。
その他として、地理についての巻3~巻6、水棲動物、昆虫、薬学、比較解剖学についての巻12、巻20、巻22、さらに金属、宝石、および美術についての諸書(巻33~37)
プリニウスの読み方、その二面性
これまでのプリニウスの読み方は、
- 事典として:古代人がどのような知識を持っていたかを調べる。
- 珍奇な事物、異聞などを拾い読みするもの
であったようである。
②の読み方の読者にとって分類法は感動的である。
まず、「頭に小石をいれている魚類、冬ごもりする魚類、星の影響をうける魚類、ある種の魚類に対して支払われる法外な値段」、あるいは「バラの項。変種十二、生薬三十二種。ユリの項、変種三、生薬二十一種。バラ自体の涙から派生する植物の項。スイセンの項、変種三、生薬十六種。種を染めると色彩が変化する植物の項。サフラン、生薬ニ十種。どこでもっともすぐれた花が咲くか。トロイ戦争時代にはどのような植物が知られていたか。花と競う衣服」といった具合だ。(抜粋)
このような読み方をされてきたプリニウスであるが、「もっとくつろいだ読み方をされてもよいはずだ」と著者は言っている。
著者は、このプリニウスには二面性があるとしている。
- 知識とパトスを持つ哲学者としてのプリニウス
- 膨大なデータの編纂に熱中する神経症的なプリニウス
である。そして、その二つのプリニウスは分けて考える方が良いと言っている。
彼にこういった二面性が存在することを了解しさえすれば、プリニウスの多様な形態を有するものとして描く世界は、じつはまとまった単一なのであって、作者としての彼には、まとまったひとつの顔があるのだ。(抜粋)
目標にたどり着くために徹底的に調査するのは、形態と知識は博物学の中で平等な重要性を持っていると確信するからである。そして彼が信じる至高の理性のしるしを求めるものには、それについて調べる権利があると信ずるからである。
抽象と事実、プリニウス散文
プリニウスは、自分の考えを挟まないで原典の伝えるところに忠実であるように心がけた。そのため、プリニウスの表明する概念がどこまで彼自身のものかは、わからない。
プリニウスが実際にどのように捉えているかを理解するためには、彼の散文の表現力に注意しなければならない。彼の散文を注意深く読めば、プリニウスは、普通に言われている、想像力に富んだ編集者以上のものであることが解る。彼には、やがて自然科学を論じた散文で必須の重要な素質、複雑な論旨を簡単明瞭に表記する能力と、それと同時にそこから美と調和の感覚を探る能力があることが解る。しかし抽象的な思弁に流されることなく、事実を大切にする。
神に対してもプリニウスは、オリンポスの神々に見られる人間の姿を剝ぎ取ってしまう。そして、厳密な理論から神の能力が限定されること、つまり、神は自死することができないこと、死者を蘇生することやかつて生きたものを生きなかったことにすることもできないこと、を信じ人間に近づける。さら神にも時間の不可逆性をどうすることもできず、神でも理性の自主性と衝突することができないと考える。
こういった言葉で神を定義すること自体、自然の力と同一視する汎神論的な神の内在説から彼を遠ざけてしまう。(抜粋)
プリニウスの合理主義と迷信
巻2は、天文の驚異について書かれている。プリニウスは、天文の秩序が存在と例外的な稀有なことの記録とで揺れ動く。しかし二番目のアプローチが常に勝ってしまう。
自然は永遠であり、神聖で、調和にみちているが、説明不可能な驚嘆すべき現象が勃発する余裕もたっぶりと残している。(抜粋)
自然とは私たちが理解できないとしても、存在するすべての事物には、それぞれに合致する解釈がある。プリニウスはこのような合理主義を持っていた。
しかし、プリニウスの合理主義は因果関係を称揚するが、同時にそれを軽んじたりもする。(ここで著者は、因果律など無視して書かれている風の例を挙げている)。彗星の予言などの欲説をプリニウスは否定する。しかし、プリニウスは迷信をしりぞけるが、かならずしも個々についてこれが迷信だと、確認するとは限らない。プリニウスは、月経に関する諸章のように容易に観察できる事柄についても、難解極まる俗説に頼ったりする。
プリニウスが直接観察した事柄について語るのは、めずらしく、ほとんどは古代の権威とされた書物からの知識である。そしてこのように言って身の安全をはかる。
「いずれにせよ、これらの事実の大部分が真実であるかどうかについて、私は保障するつもりはなく、むしろ原典を尊重したい。信憑性に疑問があるときはかならず、原典を重んじるのが私の方法であって、私は、遠い古代においても正確な観察をしたギリシアの先哲たちを慕いつづける。(巻七、八)。(抜粋)
海のかなたに生息する様々な人種の一覧表
これだけの前置きをしたうえで、プリニウスは自信たっぷりに、あの有名な、海のかなたに棲息するさまざまな人種の「不可思議きわまる、驚嘆すべき」特徴の羅列にとりかかる。(抜粋)
- ひたいに目がたった一つしかないアリマスピ人
- うしろ向きについた足で目にもとならぬ早さで走ることができるアバリモンの森林の住人
- 性交のときつぎつぎと自分の生を変えるナサモーナの両性具有者
- 片方の目に瞳がふたつあり、もう一方の目にはウマの姿をやどしているティビウス人
そして、もっとも壮観なのはインドであるとして
- イヌの頭をもった狩猟民族
- 一本足で、ふだんは跳んで歩き、休息するときは、足を日傘のようにかざして寝る人びと
- 脚が蛇の形をしている流浪民族
- 口がないので匂いをかぐだけで生きているアストモス
さらに、現実に存在している
- インドの苦行僧
などを挙げている。
なるほどなるほど、ハリーポッター等々、西洋のファンタジーには、不思議は人々や生き物が出てくるけども、そういう発想のもとがこの本ってことだよね。(つくジー)
人間の危うさと出産
このようなもの全てから人間のもろさ、不安定さという概念が生まれる。そしてその不安定なものの代表として出産が取り上げられ、数ページをついやしている。
「妊娠中の女性においては、たとえば歩き方にいたるまで、あらゆることが出産に影響する。塩気の多いものを食すると爪のない子が生まれるだろうし、息をとめていることができない女性は、より難産になりやすい。分娩中は、欠伸ひとつしただけで死ぬこともあるし、性交中にくしゃみをして流産することもある。生けるもののなかでもっとも秀でた存在である人間がその起源においてどれほどもろいかを考えるとき、同情と羞恥の気持ちを禁じえない。消したばかりのランプの匂いを嗅いだだけで、流産することもめずらしくないのだから。これほどもろい発端から、暴君や殺戮者が育つとは!自分の体力に自信のあるきみ、幸運の賜物を腕に抱いて、弟子ではなく、自分の子をと考えるこみ、支配欲に駆られているきみ、ひとつのことに成功を収めただけで自分が神になったような気になるきみ、これほど取るに足らぬことがきみを破壊させたかも知れないのを、よく考えてみるがいい!」(巻七、四二-四四)(抜粋)
関連図書:プリニウス(著)『プリニウスの博物誌〈縮刷第二版〉』(1)~(6)、雄山閣、2021年


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