『モチベーションの心理学 : 「やる気」と「意欲」のメカニズム』 鹿毛雅治 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
終章 「モチベーションの心理学」に学ぶ(後半)
謝辞
今日のところは、終章「「モチベーションの心理学」に学ぶ」の後半である。前半でモチベーションの心理学を概観された。そして今日のところ、モチベーションについて「達成」関する考察から「居る意欲」という概念に発展させる。
だいぶ長くかかってしまったが、今日のところで終わり!さて、ラストスパートですね。
モチベーションは、「何かを成し遂げるためのやる気や意欲」を連想させる(ココ参照)。そのため今まで「達成へのモチベーション」に着目してきた。
しかし、ここであらためて考えなおしてみたいのは、モチベーションを達成と直接結びつけるこのような発想には、ある種の思い込みが潜んでいるのではないかという点である。
そもそも、達成とは何だろうか。それを問い直すことで、やる気や意欲に対するわれわれの見方も広がるのではないだろうか。(抜粋)
ここで著者は、『夜と霧』の著作で著名なヴィクトール・フランクルの逸話について書いている(フランクルについてはココにも記述あり。彼が著した『意味の探求』についてという本のインタビューで、ベストセラーですねと感想を聞かれた時、複雑な心境になった。
だから彼は、何度も学生たちに以下のように忠告した。
成功を目指してはならない。成功をねらって、それを目標にすればするほど、遠ざかる。
幸福と同じく、成功は追い求めるものではない。それは自分個人より重要な何ものかへの献身の果てに生じる予期しない副産物のように生じるものだからである。成功とは、それについて考えることを忘れたからこそ、あなたにめぐってくるのである。(抜粋)
やる気や意欲が世の中の関心をあつめ、良くも悪くも、われわれはやる気や意欲に向き合わなければならない。しかし、理想どおりに行かない現状にストレスを感じ頑張ることに疲弊してしまう。
ここで、著者はある女子学生の新聞への投稿とその回答の話から、「human doing」と「human being」という話を持ち出している。
今ここにあるもの、否定しがたく存在しているものをベースにした人間観がhuman beingであるのに対して、能力や資格、肩書や実績など、行為によって獲得したもの、積み上げてきたものをベースにした人間観がhuman doingなのだという。そして、この社会は圧倒的にdoing重視だが、私たちのベースはbeingなのではないか、また、beingとdoingの区別は「将来のために今を犠牲にしてはいないか?」と自分を振り返るために役立つ二分法なのではないか、と彼女に問い返したのだ。その回答は「人生はdoingだ」とい思い込みから彼女を解き放つためのアドバイスだった(抜粋)
達成動機の研究では、その社会や文化における価値のある目標について、卓越した基準を設定し、それを成し遂げること「達成」としている。そのため「得る意欲」がモチベーションだと考えられてきた。そして「得る意欲」は「私の理想」「将来の夢」といった「目標」と頻繁に語られる。モチベーションは他達成すること、功を成すことでありhuman doingという「人間観」を基盤としている。
やる気や意欲という語には、このようなポジティブなイメージがる一方で、どこか息苦しさを感じる理由は、暗黙にdoingが重視されている(beingが軽視されている)という事情によるのではないだろうか。(抜粋)
ここから著者は、このhuman beingに関するモチベーション、「いる意欲」というものに発展させる。著者はカミュ―ユの『ペスト』の医師リウーそしてコロナ禍で奮闘していた医師や看護師たちを例にとり、彼らは特別な何かを達成するわけではない、と言っている。
ただその場にとどまり、自分なりの姿勢を地道に保ちつづけようとする姿。そこには、「得る意欲」や「成る意欲」とは異質のモチベーション、すなわち、一瞬一瞬の状況に正面から向き合い、粛々と「今、ここ」に専心して生きる意欲、いわば「居る意欲」を感じ取ることができるのではないだろうか。(抜粋)
この「居る意欲」は、「当たり前のことを当たり前にやろうとするモチベーション」である。これは、習慣や態度を主たる基盤としている。
この「居る意欲」は、その人の律儀で勤勉な姿に反映される「誠実さ」を基盤としている。そしてこの「誠実さ (conscientiousness)」は、性格の五大特性 (the big five)」のひとつとされ、そのなかで最もパフォーマンス(成果)を予測する因子である。これは、フランクルの学生への言葉に見られる「達成の逆説」を実証している。
この第三の意欲こそが、結局は「達成」の基盤なのである。(抜粋)
つまり、「達成」を求めてガリガリとがんばるよりも、地味に勤勉に「誠実」にコツコツと「今、ここ」の課題に専心していく「居る意欲」こそが、むしろ「達成」に近づくということですかね。フランクルが言っているように、確かに逆説ですね。(つくジー)
この「居る意欲」という切り口で考えるとモチベーションを支える環境の重要性も認識できる。われわれが、human being であることを自覚し、一人ひとりの日々の営みの背後にある「誠実さ」を土台とするモチベーションをサポートするような環境を整えることが重要である。
そして最後に、次のように言ってこの本を結んでいる。
「居る意欲」とは、いわば「生活の意欲」である。ここであらためて確認できるのは、人の多様性、多面性を踏まえつつ、身体的、心理的コンディションが良好に保たれるような環境が一人ひとりに保証されることを条件として、その人独自のモチベーションを支えるような社会であることの重要性だろう。それが広義の達成の土台だからである。(抜粋)
ここでは、human beingとhuman beingの話が出てくる。このDOとBEの対比であるが、これは、ちょっと前に読んでいた「コヘレトの言葉」に関する本(コレとコレとコレ)の中にも出てきて、同じようなことが語られている。
「コヘレトの言葉」は旧約聖書に書かれている一節であり、この本は、「モチベーション」に関する心理学の本である。そうではあるが、どうやらどちらも、「DOではなくBEである」ことが大切だという結論になっている。
また、どちらもフランクルの著作、特に『夜と霧』を引用しているのも偶然ではないように思った。(つくジー)
『すべてには時がある 旧約聖書「コヘレトの言葉」をめぐる対話』のココなどを参照
関連図書 :
ヴィクトール・E・フランクル(著)『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』、みすず書房、1956年
ヴィクトール・E・フランクル(著)『夜と霧 新版』、みすず書房、2002年
ヴィクトール・フランクル(著)『意味の探求』、1946年
カミュ(著)『ペスト』、新潮社(新潮文庫)、1969年
小友 聡 (著) 『コヘレトの言葉を読もう 「生きよ」と呼びかける書』 日本キリスト教出版局 2019年
小友 聡 (著) 『それでも生きる 旧約聖書「コヘレトの言葉」』 NHK出版 (NHKこころの時代)、2020年
『すべてには時がある 旧約聖書「コヘレトの言葉」をめぐる対話』 若松 英輔、 小友 聡 著、NHK出版(別冊NHKこころの時代宗教・人生)、2021年
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