『聞く技術 聞いてもらう技術』 東畑開人 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第2章 孤立から孤独へ(その1)
ここから、第2章 「孤立から孤独へ」になる。第2章でも初めに著者が朝日新聞に連載した「社会季評」の記事が全文引用されている。ここでも第1章同様に「社会季評」の記事の内容をまとめ、その後、解説文のまとめに進む。それでは読み始めよう。
(第2章は、3つに分けてまとめることにする)
社会季評「連鎖する孤独」:内容のまとめ
まず初めに著者が朝日新聞に連載した社会季評の記事「連鎖する孤独」の全文が引用されている。
最初にこの社会季評の記事をまとめる。
社会季評の「連鎖する孤独」は、冒頭で内閣官房に「孤独・孤立対策担当室」が設置されたという話題から始まる。背景にあるのはつながりの希薄化で、孤独になると、自殺やうつといった様々な問題が引き起こされるからである。
しかし、これに違和感を持つ人もいるかもしれない。なぜならば五木寛之の『孤独のすすめ』をはじめ豊かな孤独を説く本も少なくないように、「豊かな孤独」も存在するからである。しかし著者は、そのような「豊かな孤独」には心の中に安全な個室があることが前提であるとし、
そういう孤独を持てる人は幸運だ(抜粋)
と言っている。
問題になる孤独は、ポツンと一人でいるように見えても、心の中の個室には暴力的な他者が住んでいて、たえず「お前は迷惑だ」「無価値だ」「気持ち悪い」などの声に脅かされている孤独。つまり「暴力的な孤独」が問題である。
この個室の中の暴力的な他者は、かつて受けた暴力被害の体験により入り込んでしまう。そしてさらにそのような暴力的な他者がいる孤独により、その本人が暴力的になり孤独が連鎖してしまう。
だから、孤独は社会的課題なのだ。包摂性を失った競争的な社会は、人々の心に孤独をもたらす。その孤独が連鎖してその社会を壊していく。(抜粋)
そのため、つながりを再建しなければならないが、それは簡単なことではない。「暴力的な他者がいる孤独」の中では、人から提供されたつながりを自ら破壊してしまう。心の中の暴力的な他者のためにそれが安全だと思えないからである。
彼らのおびえを理解したうえで、粘り強く関りを重ねるしかない。心に安全な個室を再建するためには、長い長い時間が必要だ。(抜粋)
そしてこの時、その支援者も孤独になる。「孤独に介入しようとする人は孤独になる。」そのため支援する人の支援も必要になる。
孤独な人を支援する人も支援者が必要となる。そしてその支援者もまた支援が必要になる。このような支援の連鎖を作っていくことが「つながりの再建」である。
孤独と孤立
ここから、社会季評の評論を受けての著者の解説となる。
まず、社会季評では、触れなかったとしたうえで、「聞く」を考えるうえで最重要な区分が「孤独」と「孤立」であるとする。
ここで「孤独」は、どこか豊かな感じがするが、「孤立」というと、何か問題を抱えているように感ずる。その違いは、
孤独には安心感が、孤立には不安感がある。(抜粋)
というものである。著者はその違いを以下のように説明している。
- 「孤独」・・・鍵のかかる個室にいるように、心の世界でも自分一人で、外からの侵入者におびえなくてよい。
- 「孤立」・・・心の中の部屋は相部屋で、嫌いな人、怖い人、悪い人が出たり入ったりしている。心の中に自分を責める声が吹き荒れ、想像上の悪しき他者がいる。
心に悪い人がうようよしているか、一人でポツンとしているかが、孤立と孤独の違いである。そして、
孤立しているときには話は聞けないけど、孤独になれるならば話を聞くちからが戻ってくる。(抜粋)
のである。
ここで著者は、前章で述べた「孤独」にはこの二つの意味が混ざっていると注意している。
ここで納得!
まず、本章・第二章の社会季評(↑を参照)では、「(豊かな普通の)孤独」と「暴力的な孤独」があったがこの「暴力的な孤独」=「孤立」であるわけだ。
そして第一章での「孤独」は、この二つの意味を持っていた。第一章の社会季評のまとめのところに、「首相が足りなかったのは、孤独ではなかったか」の部分がわからないと書いたが、つまりは、
菅首相に足りなかった孤独は(豊かな普通の)孤独であって、孤立ではない。しかし菅首相は、「孤立」していたため、話を聞くことができなくなっていた。そこで、話を聞くためには、(豊かな普通の)孤独が必要だった、という意味ですよね。OK!よかったよかった。
そして、それに対してメルケル首相には、十分な「(豊かな普通の)孤独」があったため、話を聞くことができ、話を聞いてもらうこともできたということだと思う。(つくジー)
「(豊かな普通の)孤独」に必要なこと
心の中で一人ポツンといる、つまり孤独になるには、外の現実から手厚く守られていなければならないということである。
具体的には、安定した仕事、心を許せる友人、お金がある、住む家があるなどの現実的なサポートが無ければならない。これを「環境としての母親」「対象としての母親」を提唱したウィニコットは、「ひとりでいられる能力」と呼んでいる。
孤独の前提は安定した現実である。(抜粋)
逆に言うと現実が不安定で厳しいときは人は孤立に追い込まれやすい。そのため孤立の問題は、心の問題でありながら政治や経済の問題でもある。
ここで著者は、この問題を理解するための例として、ホームレス支援での「ハウジングファースト」という考え方について説明する。
ホームレスの支援は、まず寮や施設などに入って、次に仕事を見つけそれが続けば自分で部屋を借りて自立するイメージである。つまりその名のとおり、ハウジングファースト=家を手に入れるところから始める。
まずは働かなくてもいいから家を持つことから始める。ここで大切なのは、自分だけの個室を持つことである。
プライバシーの保てる部屋を持つことは人間の基本的権利だと考えるわけです。(抜粋)
ここで大切なのは、働けるようになったら個室が手に入るというモデルよりも、最初に個室に入るハウジングファーストモデルの方が、結果的に働くことの障壁が下がることである。
個室は心の健康にいいのは、外から侵入してくる怖い他者を拒めるからである。そして自分に向き合うためには、他者のことをとりあえず忘れていられるような自分だけの個室が不可欠である。
この個室の問題から考えると、私たちは案外、心の中に自分一人の部屋を持っていない。
たとえ、現実には鍵のかかる個室があったとしても、心の中には危険な他者たちがウヨウヨとしていませんか?(抜粋)
この部分は、鹿毛雅治 の『モチベーションの心理学』に書いてあった。マズローの「欲求階層説」と関係しているように思った(ココ参照)。「欲求階層説」では、下位の欲求が満たされるとより上位の欲求にもとづくモチベーションが発動するというものだが、その中で「安全への欲求」は一番低い「生理的欲求」の次で結構下位である。まずは安全を確保して「所属と愛情への欲求」「自尊の欲求」「自己実現への欲求」とステップアップで出来る。そうであるから初めに、一人でポツンといられる「安全な個室」が必要ってことなんだろうね。
問題は、この「安全な個室」は物理的な個室だけでなく、心の中にも必要ってことだ!と思った。(つくジー)
関連図書:五木寛之(著)『孤独のすすめ』、中央公論新社(中公新書ラクレ)、2017年
コメント