誰が聞くのか(後半)
東畑開人 『聞く技術 聞いてもらう技術』 より

Reading Journal 2nd

『聞く技術 聞いてもらう技術』 東畑開人 著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

第4章 誰が聞くのか(後半)

今日のところは、第4章 「誰が聞くのか」の”後半“である。前半では、著者の朝日新聞に連載した「社会季評」の記事をまとめたあと、その解説文のまとめに移った。

前半では、まず第四章のテーマは「誰に聞いてもらうか」であると示している。そして「中立性」を説明した後、会話が成立していないときは、「相手が悪魔的に見えたとき」であると解説する。そして、この時フロイトの「転移」の概念を引用して、相手が本当の敵ではなく、過去のトラウマと重なって悪魔的に見えていることも多いと説明した。そのような時、「聞いてもらう」必要がある。今日のところ”後半”では、誰に聞いてもらうか、について解説される。では、読み始めよう。

幽霊をやわらげる第三者

幽霊が猛威をふるって相手が敵に見えるときは、対話は難しい。しかしその幽霊がやわらぐと、敵に見えていた人の別の側面が見えてくる。対話が成立するのは、互いに複雑さを複雑なまま理解し合える時である。

そして、「聞いてもらう」ことがその幽霊をやわらげることに役に立つ。しかし聞いてもらう相手は、対話が難しくなっている当人ではなく、第三者である。結局のところ、幽霊が弱まるのは、傷ついている気持ちを誰かがわかってくれているときだけである。

自分にも複雑な事情があったこと、自分なりに切実な思いをしてきたこと、そういう気持ちをかわってもらい。苦しい気持ちを預かってもらえると、僕らの心にはスーペースができます。そこに複雑な自分の置き場所ができ、他者の複雑さを置いておくことができるようになる。(抜粋)

この第三者は、実際の問題に直接関係しないため問題の解決には無力である。

だけどね、誰かが聞いてくれて、「そりゃひどい」とか「よく耐えられるね」と言ってくれると本当に助かる。(抜粋)

第三者の「聞く」は現実に直接作用するわけでないが、心に作用し現実を変える力となりうる。

この第三者には3種類ある

  1. 司法的第三者:話を聞いて、状況を把握し裁定を下してくれる第三者
  2. 仲裁的第三者:中立性を保ちながら揉めている当事者間を取り持つ第三者
  3. 友人的第三者:争いとは離れたところで、裏話をきてくれる友人

ここで、司法的第三者が上に立ち、仲裁的第三者が真ん中に立つとすると、友人的第三者は、横もしくは裏に立っている。

この友人的第三者は非力であるが、有利な点もある。友人は横に立って話を聞くことが出来るため、本音を漏らすことが出来る。

「お前はいろいろあるけど、やっぱりいいやつだと思うよ」
そう言ってくれる人が、一人いると助かります。人生の苦境にあってはなおさらである。(抜粋)

著者はこの本の背景は「リソースが限られた社会である」としている。リソースが十分あれば、不利益を被っている人を一人ずつケアすればよい。しかし、リソースが限られた社会では、いろいろな声があがり対立し社会が分断される。リソースが限られているため、話し合いを、調整し、落としどころを見つけなければならないが、そういう時には相手が悪魔化して見え対話が難しい。

その時に役に立つのは、距離を置くこと、離れた場所から配慮を重ねる時間である。そして対話ができる状態になるための第三者の聞くちからである。

テーブルに着くまでが大変なのです。十分に話を聞いてもらい、自分の物語にも正当性があると信じられてはじめて、他者の物語に耳を傾ける準備ができます。(抜粋)

友好的第三者とは

では、話を聞いてもらう、「友好的第三者」とは誰だろうか?「友人」といわれても困る人も多い。しかし、著者はこの「有効的第三者」の力点は「第三者」にあるとし、

ですから、誰でもいい。同僚や上司でもいいし、取引先の人でもいいし、顔馴染みのクリーニング屋さんでもいい(もちろん、家族だっていい)(抜粋)

戸惑う心をちょっと漏らし、そこで聞いてもらえた体験の蓄積が、新たな友人をもたらしてくれる

「聞く」と「聞いてもらう」の循環する社会

でも、どうしても話す相手が思い浮かばないときは、

あなたから始めてもらえないでしょうか(抜粋)

自分がまず話を聞くと、その「聞く」がぐるぐると循環する第一歩になる。

世の中には理不尽なことがいっぱいあり、そういう時に誰かに話を聞いてもらうと助かる。おせっかいに思われるかもしれないが、おせっかいに案外ひとは助けられる

当事者であるときは話を「話を聞いてもらい」、第三者のときは「話を聞く」ように立場は交互に入れ替わる。

あるときは聞いてもらう側だったけど、別のあるときは聞く側になる。「聞いてもらう技術」を使うときもあれば、「聞いてもらう技術」を使っている人を見つけて「なんかあった?」と尋ねるときもある。
「聞く」がそうやってグルグルと循環しているときのみ、「社会」というものはかろうじて成り立つものではないでしょうか?(抜粋)

「聞く技術」と「聞いてもらう技術」はセットになってグルグルと廻っている必要がある
そして、この「聞く」と「聞いてもらう」は、どちらからはじめてもよい。

そしてこの章の最後を次ように締めくくっている。

どちらから始めても、「聞く」はきっとグルグルと回りはじめるはずだから。
「聞けない」と「聞いてもらえない」の悪循環を、「聞く」と「聞いてもらう」の循環へ。
そのための最初の一滴をこの社会は必要としています。その一助になればと思ってこの本は作られました。
ですから、あとは読者であるあなたに託して、この本を終わろうと思っています。
聞くことのちからを信じて。(抜粋)

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