誰が聞くのか(前半)
東畑開人 『聞く技術 聞いてもらう技術』 より

Reading Journal 2nd

『聞く技術 聞いてもらう技術』 東畑開人 著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

第4章 誰が聞くのか(前半)

ここから、第4章 「誰が聞くのか」になる。ここでも、冒頭で著者が朝日新聞に連載した「社会季評」の記事が全文引用されている。ここでも同様に「社会季評」の記事の内容をまとめ、その後、解説文のまとめに進む。

ここまで、第一章第二章において、なぜ話が「聞けなくなった」のかについて解説され、さらに第三章で、「聞く」ためには、「聞いてもらう」必要があることが説明された。それを受けて本章・第四章のテーマは、”誰“に聞いてもらうかである。それでは読み始めよう。
(第4章は、2つに分けてまとめることにする)

社会季評「ヒリヒリした社会の中で 対話を担う、善き第三者」:内容のまとめ

まず初めに著者が朝日新聞に連載した社会季評の記事「ヒリヒリした社会の中で 対話を担う、善き第三者」の全文が引用されている。まず最初にこの社会季評の記事をまとめる。

対話が大事とよく言われるが、これは対話が難しい社会になったからである。立場の異なる同士で膨大な言葉を交わしあうが、全然伝わらない。それどころか、より強く主張しようと頑張り声が大きくなり言葉は硬くなり、トゲが生え、対立を深めてしまう。
現代は、新聞や雑誌で両論併記することが難しくなっているという。

これは、「聞く」の不在に陥っていることが問題となっている。

難しくなった対話を外から見ていると、お互いに相手の言葉を誤解し続けているように見えるからだ。(抜粋)

相手の言葉が聞けなくなるとき、それは相手の言葉が悪魔的に見えるときである。実は相手にも切実な事情があるのだが、相手の言葉から垣間見える嫌悪すべき何かが垣間見えてしまう。そして、相手の事情にまで思いを馳せることはできずに、言葉がすれ違い、攻撃的になる。

そのような時に、最初に聞く役割を担うべきは第三者である

対話は二人きりでするものではないのだ。あなたの切実な事情を裏で聞いてくれる第三者、そして相手にもまた別の第四者が必要だ。ここに「聞く」の秘密がある。聞くためにはまず聞かれなければならない。(抜粋)
誰も自分の話を聞いてくれないと思うときは、社会は敵だらけの危険な場所に見え、他者が悪魔的に見える。しかし、誰かが十分に聞いてくれたなら、世界に理解してくれる人「も」いると思え、その信頼感から悪魔的に見える人にも事情があるかもしれない、と想像させてくれる。それが「聞く」を再起動させる。

このような時、両論併記する場所には、価値がある。それは二者の対立を第三者へ開かれるからだ。もちろん第三者は善いものとはかぎらない。高みの見物を決め込むもの、中立に見せかけて強者に加担するものもいるだろう。しかし、中には、対立する人たちの話を横で聞こうとする第三者も出てくる。

高みでも、中間でもなく、横に立つ第三者、そういう支えがないと、対話はできない。対立から変革が生み出されるのは、良き第三者がいるときなのだ。(抜粋)

態度の「中立性」

ここまで、社会季評「ヒリヒリした社会の中で 対話を担う、善き第三者」の内容をまとめた、ここから解説となる。

最後の章ですから、誰に聞いてもらうかについて考えてみようと思います。(抜粋)

冒頭で著者は、このように第四章テーマを示す。

心理士である著者は、基本的に突っ込んだ意見を表明することを控えているという。著者の仕事がら、さまざまな人の話を聞く必要があり、あるクライアントと別のクライアントでは、全く異なる意見を持つことも珍しくない。しかしどちらにも切実な事情がある。

それぞれの政治的立場の裏には生きづらさや傷つきが潜んでいることがままあります。それこそが強い政治参加を生み出すわけですから当然です。
そういう裏の話を聞くためには、治療者は政治的立場を表明しない方がいい。フロイトはそう考えて、このような治療者の態度を「中立性」と呼びました。(抜粋)

このような「中立性」には、批判もあるが実際に役に立つことがある。

相手が悪魔化(転位)するとき

それは、立場が異なる意見が対立しお互いが分断され対話が成立し無くなるときである。このような時に問題なのは、ロジックやエビデンスではなく、「お互いが悪魔化して見えている」ことである。

相手の言葉の裏には、悪意や傲慢さ、愚かさが垣間見えます。言葉を交わせば交わすほどに、相手への憎しみや軽蔑がつのってしまう。
そういうとき、他者は絶対的な敵になってしまっているから「話せばわかる」どころか「言葉で切られる」となってしまうので、とても対話していられません。(抜粋)

重要なのは、相手が悪魔化している時は「かつてまみえた敵の記憶が蘇っている」ことである。問題のトラウマが刺激されると、現在目の前にいる人が、そのときの敵と同じくらい極悪に見えてくる。

この敵に見えた人が本当に悪意を持っていることもよくある。そのような本当の敵の場合は、相手につき合うことはできない

距離をとるか、誰か権限のある人に訴え出て相手を引き離してもらうか。とにかく逃げるのが吉。諸々のことは逃げた後に考えればいい。(抜粋)

問題は、敵に見えていた人が本当はそんなに悪い人ではないということもよくある。子の見分けが本当に難しい。そういう時は、まわりの人に聞くのが良い。そうすると、その人が本当の敵か、幽霊(かつての苦しかった人間関係の記憶・トラウマ)であるかが分かる。
こういう現象を精神分析家のフロイト「転移」と呼んだ。

あなたがいま憎んでいたり、恐れていたりする人が、本当にそういう人なのか、あるいはあなたの幽霊が重なっているだけなのか。
これが、人生の様々な局面で突きつけられる難問なわけです。(抜粋)

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