改憲の発議要件を緩和することの意味 — 憲法改正の手続き(前半)
長谷部 恭男 『憲法とは何か』より

Reading Journal 2nd

『憲法とは何か』 長谷部 恭男 著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

第6章 憲法改正の手続き(前半)

今日から「第6章 憲法改正の手続き」である。前章 第5章(“その1”、“その2”、“その3”)において、憲法のテキスト(憲法典)と(二次の慣行的規範としての)憲法の関係が検討された。そして、本章では「シンボリックな改正のために無駄なエネルギーを使わないため」、「シンボリックな改正と抱き合わせで妙な「憲法」の変化が行われないため」の手段として、憲法改定の手続きがどのようになっているかを見ている。

第6章は、二つに分け”前半“で「改憲の発議要件を緩和することの意味」、”後半“で「憲法改正国民投票法」についてまとめることにする。それでは、読み始めよう。

改憲の発議要件を緩和することの意味

日本憲法の憲法改正手続きは

  1. 衆参両院でそれぞれの三分の二の特別多数決によって憲法改正の発議
  2. 国民投票にかけられ、そこで過半数の賛同

が要求される。

このうち①の改正発議の要件を三分の二の特別多数決から、過半数の単純多数決に変更するという提案がある。三分の二という数の要求が厳しく必要な改定が行われにくいという理由である。そして、最終的には国民投票で決着するので、発議に関してはさほど厳格でなくてもよいのではないかという理屈が付加されている。

しかし、著者は、このような提案にはにわかに賛同しがたい、と言っている。ここではまず、三分の二の特別多数決が必要とされる理由を考えるため、「なぜ、単純多数決ものごとを決めているのか」を考える。

異なる意見を持つ人が統一した答えを出さなければならないときに、多数決でことを決することの正統性については、幾つかの理由づけが提示されているが、ここでは、憲法改正の問題との関連から二つの議論が紹介されている。

なぜ多数決なのか その1

第一の論拠は、

世の中には、いろいろな考え方を持っている人、いろいろな利害にかかわる人がいる。それにもかかわらず、ある問題について、すべの人に当てはまる統一した結果をだそうとするならば、少なくとも、全体として、その結論をとることでより幸福になる人が、より不幸になる人よりも多くなるような手段をとるべきだろう。(抜粋)

というものである。

ある問題で過半数の賛同を得ようと思えば、いろいろな人の意見や利害を取り入れる必要がある。そのためある問題で少数派でも別の問題で多数派になることができるかもしれない。長い目でみると、どの人の意見も利害も、同等に尊重される形で政治が運営されることが期待できる。

このような意見は説得力を持つが、憲法の改正となると、単純過半数ではよいと簡単に言えないと、著者は指摘する。

それは、憲法は日常の政治問題の解決を直接問題にしているのではなく、民主的な政治過程が健全に運営されるための社会の基本原理を、その時々の政治過程の手の届かないところに隔離するのが目的であるためである。そのため

憲法の中身を変更しようというのであれば、その時々の多数派が何が都合がいいと考えるかといった、特定の人々だけの短期的な利害に基いて中身が決まらないような仕組みが必要となる。(抜粋)

憲法改正の発議に三分の二の特別多数決を要求しているのは、なるべく広い意見や利害に共通する土俵を提供し、世の中のいろいろな人々がなるべく幸福になるようにするという正統性がある

なぜ多数決なのか その2

次に多数決の根拠として、コンドルセ伯爵が提示したコンドルセの定理が紹介されている。

  1. ある集団のメンバーが、二つの選択肢のうち正しい方を選ぶ確率が、メンバー全体で平均して二分の一を超えており、かつ、各メンバーがお互い独立に投票するならば、その集団が単純多数決によって正しい答えに達する確率は、メンバーの数が増すにつれて増大し、極限的には一、つまり100%となる。
  2. 逆にメンバーが正しい選択肢を選ぶ確率が平均して二分の一を下回っているならば、集団が多数稀有によって正しい答えに到達する確率は、メンバーの数が増えるにつれて減少し、ゼロに近づく。

というものである。

著者は、政策のようなものの善し悪しに「正解」があるかという問題があるとしながら、この定理は、メンバーの「判断力」により多数決による選択が正解となる可能性が変わることを示唆している。また、政党や結社のようなものが投票に影響を与えることは、実質的な意味で投票者の数が減ることを意味する。

そのため「きわめて専門的なもの」「人々が偏見にとらわれがちな問題」では、人々の平均的な判断力が低下し、多数決が正しい結論を導く可能性も投票者の増大とともに減ってしまうことになる。

少数者の権利にかかわる問題が、民主的な多数決でなく、政治過程から独立した裁判所の判断に委ねられるべきだとされているのもそのためである。(抜粋)

この議論から憲法改正の要件が、単純過半数でなく特別多数決とする理由は、

  1. 少数者の権利の保障のような人々の偏見にとらわれがちな問題は、単純過半数では間違った結論を下しがちである。
  2. 憲法に定められた社会の基本原理の変更は、正しいという蓋然性が相当高いことが必要である。

ということである。

以上述べてきたように、憲法改正の発議の要件が三分の二に加重されていることには、十分な理由があるのであって、この要件を単純過半数に緩和するというのであれば、なぜそうするのか、慎重に検討を加える必要がある。(抜粋)

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