規範の「慣行的理解」 — 憲法法典の変化と憲法の変化(その2)
長谷部 恭男 『憲法とは何か』より

Reading Journal 2nd

『憲法とは何か』 長谷部 恭男 著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

第5章 憲法典の変化と憲法の変化(その2)

今日のところは「第5章 憲法典の変化と憲法の変化」の“その2”である。“その1”では、デイヴィッド・ストラウス「憲法改正の意味の無さ」という論文を取り上げ、「成熟した国家の憲法運用にとっては、憲法改正は大きな意味を持たない」ということが解説された。

それに続いて“その2”では、H・L・A・ハート規範の「慣行的理解」という視点を手がかりにして、憲法改正を考える。それでは、読み始めよう。

H・L・A・ハートの規範の「慣行的理解」

その1”で、述べられたことは、一般国民の意識が直接に憲法のあり方を決めるというような、単純な話ではない。「憲法を変えることが必要だ」という国民が多数派となったとしても、憲法の実質的内容が変わるほど、国民の意識と憲法の関係が単純ではないのである。ここでは、この問題に対して、H・L・A・ハート規範の「慣行的理解」という視点を通し議論を進める。

ハートは、法と道徳を峻別し、道徳的に正しいこと、法的に要求されていることは必ずしも一致しないとしている。そして、この道徳と法の違い、「法は意識的に変更されうるが、道徳はそうではないという点にある」と主張する。

「意識的な立法によって新たな規範が導入され、古い規範が改廃されることは、法の特質である。・・・・他方、道徳的な準則や原理は、こうした仕方で修正されたり廃止されたりすることはない」。(抜粋)
「道徳の準則、原理および基準が、法と同じように意図的に創設されたり変更されたりしうるという見方は、人々の実生活における道徳の役割と両立しない」。(抜粋)

社会生活の慣行として徐々に生成し、発展し、衰退する。そのため、意図的に創設されたり修正されるということは、慣行としての道徳の本質に反する。

一次レベルと二次レベルの規範

法が社会生活の規範として未発達な前近代社会では、人々の権利や義務を定める規範も、慣行として徐々に受け入れられ定着し、実践されなくなると衰退する。このような社会的慣行としての規範が「一次レベルの規範」である。

そして、近代化が進むと社会規範の変化や考え方の変化に対応して社会生活のルールも変化させる必要が出てくる。そのため社会慣行としての一次的な規範を意図的に変化させるための二次レベルの規範を、社会慣行として生成する必要が出てくる

つまり、人々の権利や義務を定める一次レベルの規範がどのようにして変化するか、そして、そのときどきの一次レベルの規範が何であるかをいかにして認定できるかを判断する基準としての規範である。いいかえれば、一次レベルの規範が何かを決めるための規範ということができる。(抜粋)

この規範の中核にあるのがハートの「認定ルール(rules of recognition)」である。

近代社会では裁判所の裁判官が紛争解決のためのルール(一次レベルの規範)を判別する。そして、それを認定するための規範がハートのいう「認定ルール」である。

この認定ルールは

  • (成文憲法を持たない)イギリス;「議会の制定した法」
  • (違憲審査制度を持つ)日本やアメリカなど:「議会の制定した法のうち、裁判所が違憲と判断していない法」

が認定ルールとなる。

法規範は、意図的な変化を被る能力を身につけ、二次レベルの規範を中核として、法は全体として統一性を持つ体系となる。(抜粋)

この二段階の規範によって構成される法秩序は、近代国家とともに新しく成立したものである。

二次レベルの規範と専門家集団

この二次レベルのルールは慣行として生成するものであり、やはり慣行として定着し、衰退もする。そして慣行の内容が部分的に成文化されることもあるが、ルール自体は慣行として存在し成文化されたテクストも慣行と合致しているときのみ二次レベルのルールたりうる

二次レベルのルールは社会で必然的に意図的に作られ、改廃される法の標識となる。そしてどのルールが法として妥当性を持つかを峻別する専門家集団(裁判官、弁護士、検事、法律学者)が生成される。

そして、憲法はこの二次レベルのルールの典型的なものである。

その社会の法体系に属する法として妥当であるかは、一義的には憲法に適合しているかによる。しかし、ここでいう「憲法」は専門家集団の慣行として存在するのであって、たとえそれが成文化されても、それは慣行の反映にすぎない。

三次レベルのルールへ

ここまで、「一次の慣行的規範のみ備えた社会が、社会状況の変化に対応するため、二次の慣行的規範を備える」という話であったが、それならば「二次の慣行的規範を備える社会も、それを意図的に変更するために、三次の慣行的規範を生成する」はずである。

これが、憲法を変更する規範である。この規範は成文の憲法典には、憲法改正の条文として挿入されている。

そして、ここでも妥当な法の認識能力を備える専門家集団としてそれ以外の一般人の分化が行われるが、その専門家集団とて別の専門家集団が生成されるわけではない。

結局は、三次の規範は担い手を同じくする二次の慣行的規範へと崩落し、吸収されることになる。(抜粋)

すなわち、憲法典のテクストを変更しても、それが(二次の)認定ルールたる「憲法」がどのような変化を被るかを判定するのは、限られた専門家集団になる。


ここでちょっと混乱してしまった。前をよくよく読み返すと、近代後は、

  • 一次の慣行的規範 = 法律
  • 二次の慣行的規範 = 憲法
  • 三次の慣行的規範 = 憲法改正手続きを定める条文

の関係にあるのだと思う。ただ、この三次の慣行的規範は、二次の規範と同じ専門家集団が担うため、結局二次の規範に吸収されてしまうってわけね。う~ん、難しいですね。(つくジー)

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