憲法改正とその必要性 — 憲法法典の変化と憲法の変化(その1)
長谷部 恭男 『憲法とは何か』より

Reading Journal 2nd

『憲法とは何か』 長谷部 恭男 著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

第5章 憲法典の変化と憲法の変化(その1)

今日から「第5章 憲法典の変化と憲法の変化」に入る。第5章では、デイヴィッド・ストラウス「憲法改正の意味の無さ」という論文とH・L・A・ハート規範の「慣行的理解」という視点により「憲法を改正」があまり意味のないことが説明される。

第5章は、3つに分けてまとめる。今日のところ”その1“では、まず「憲法改正は必要か」という問いが、実は不思議な問いであるということに触れた後、デイヴィッド・ストラウス氏理論が紹介されている。それでは、読み始めよう。

「憲法改正は必要か」という質問の不思議

ここでまず著者は、「憲法改正は必要か」、「憲法は改正すべきか」という質問について、「民法典」の改正と対比してその質問は不思議であると言っている。

つまり「民法典」の場合は、それを「改正が必要か」「改正すべきか」と問われても、民法のどこを改正するかを示されなければ、答えられないという反応となるなずで、憲法も同じくどこを改正するかを示されなければ、答えられないのではないかということである。

そして、具体的なアンケートの例を示して、その質問が空虚であると主張している。

デイヴィッド・ストラウスの「憲法改正の意味の無さ」について

憲法改正が必要かという問いに答えるために著者は、デイヴィッド・ストラウス「憲法改正の意味の無さ」という論文を紹介している。この論文でストラウスは、「成熟した国家の憲法運用にとっては、憲法改正は大きな意味を持たない」と言っている。

ストラウスは、

  • ニューディール政策期の連邦政府の権限拡大が憲法典の改正なしで行われた
  • M’Culloch v. Maryland判決で合憲となった連邦銀行の設立が判例による憲法改正と考えられた
  • 児童労働の禁止、性別のもとづく差別の禁止が、憲法改正の試みが挫折したにもかかわらず、実現したのと同様な運用が実現していること

などをあげ実質的意義のおける憲法の重要修正が、憲法の正式な改正なしに行われたということを指摘している。

次に、憲法改正の法的効果があった例として

  • 第二五修正:大統領に事故があった場合の継承順
  • 第一七修正:上院議員を各州の直接選挙で選ぶ

をあげるが、それらは修正も修正自体に大きな意味があったわけではない。

このような考察のうえストラウスは、「建国後数十年もたてば、憲法典の改定はさほど意味を持たなくなる」ことを指摘した。また、そのように憲法改正がさほど意義を持たなくなるため、「憲法解釈にあたっては憲法典にまず着目し、その全体を整合的に解釈すべき」であると指摘している。

フランスにおける事例

このストラウスの議論を補強するために、著者はフランスでの事例を紹介している。

まず、フランスでは、憲法院での判決により結社の自由を確認し、さらに違憲審査制度が国民の権利の保障を含むという転換を果たしたが、これは憲法の改正することなく、憲法制度の機能を変更させた例である。

さらに、著者は、フランスにおける憲法改正の多くが、ルールの変更などの規定や、現状の追認などであることを指摘している。

ストラウス教授の議論は、各国での憲法改正がどのような意義と機能を持つものか、それが果たして国家体制の根本的変革をもたらすようなものか、憲法改正によることが是非必要なものであったかについて、改めて検討を促す。(抜粋)

この議論を受けて著者は、憲法を改正しようという意見あるものについて

  • 環境権、プライバシー権:実質的な保証には、法整備や判例法理の展開が必要であり、かつそれが行われればそれで十分なため、憲法を改正しても象徴的な意味しか持たない。
  • 自衛のための実力の保持:これも九条を改変することが是非とも必要とはいえない。

としている。

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