アッカーマンの「新しい権力分立」論 — 新しい権力分立?(その1)
長谷部 恭男 『憲法とは何か』より

Reading Journal 2nd

『憲法とは何か』 長谷部 恭男 著
  [Reading Journal 2nd:読書日誌]

第4章 新しい権力分立?(その1)

今日から、「第4章 新しい権力分立?」に入る。ここでは、ブルース・アッカーマン「新しい権力分立」論を紹介するとともに、日本における首相公選論や日本はどこまで「制限された議院内閣制」といえるのか?さらに、二元的民主政についての説明がある。

第4章は4つに分けてまとめるとして、今日のところ“その1”では、古い権力分立としてモンテスキューの論を、新しい権力分立としてアッカーマンの論が紹介される。それでは読み始めよう。

アッカーマンの新しい権力分立論

最初に二〇〇五年のブルース・アッカーマン教授の来訪時のエピソードが語られている。

ここでは、アッカーマンの論文『新しい権力分立 (The New Separation of Power)』 が古典的なモンテスキューの権力分立論ともに紹介している。

モンテスキューの「古典的権力分立論」

まず著者は、古典的な権力分立というと、立法・司法・行政の三つを分割し、それを別々の機関にゆだねることと思われるかもしれないが、それは単純すぎ、モンテスキューもそうした主張をしていないと指摘している。

モンテスキュー『法の精神』の中で、権力分立論として、権力を立法・司法・行政に分割したうえで

  1. 立法権と行政権を同一の人物(団体)が持つべきでない
  2. 司法権と他の二権のいずれかも分離されなければならない
  3. 同一人物(団体)が三権のすべてを独占すべきでない

と言っている。そうした独占を許すと自由が抑圧され専制政治が行われるからである。

しかしモンテスキューは、三つの権利をそれぞれ異なる機関に「独占」させるべきだとは主張していない。モンテスキューの権力分立論は「立法・司法・行政のうち、二つ以上の権力がすべて同一人ないし同一団体のものとなってはいけない」という主張である。

そしてそれに加えて、モンテスキューは「最高の権力であるはずの立法は、社会のさまざまな勢力が関与すべき」と提唱している。それは彼の見た一八世紀のイギリスでは、貴族を代表する貴族院、市民を代表する庶民院、そして立法拒否権を持つ国王で立法府が構成され、その三者が合意した場合のみ、新たな法律が成立される状態であったからである。

このモンテスキュー主張は、フランス憲法やアメリカ合衆国憲法の制定に大きく影響した。

しかし著者は、

社会生活に対する政治の介入の程度が広がり、一般市民の政治参加の拡大に伴い、政党が政治生活において果たす役割が拡大した現代国家において、なおモンテスキューの示した原理に従うべき理由がどこまであるかは、再検討を要する問題である。彼がモデルとしたイギリスの統治構造も、その後の政党政治の展開と議院内閣制の成立により大きな変化を遂げている。(抜粋)

と指摘している。

アッカーマンの「新しい権力分立」論

まず、リベラル・デモクラシーの権力分立のあり方は次の三つがある。

  1. アメリカ型大統領制:行政府の長と議会とを別々に有権者が選挙する。(アメリカなど)
  2. イギリス型議院内閣制:有権者が議員を選挙し、議会が行政府の長を選任する。しかし、議会や行政府の権限に対する先約が、明示的に存在しない。(イギリス)
  3. 制約された議院内閣制:(前半は②と同じ)議会や行政府の権限が憲法上、制約されている。(日本、ドイツなど)

このうち、アッカーマンの診断では、

  • 最悪なのが①のアメリカ型大統領制:大統領と議会が別々に選出されるため、両者が異なる党派によって占められると、国政は閉塞状態になる。両者が同一の党派によって占められると、その党派が国政の全権を掌握し、司法部が制約しようとしても、実行的な制約は困難。
  • 次善が②のイギリス型議院内閣制:議会多数派と行政府の長が同一の党派となるため、閉塞状態に陥ることはない。しかし、無制約な議院内閣制の場合は、議会と行政府に与えられた権限をほしいままに行使して、人々の基本的人権を侵害する危険がある。(「選挙された独裁」状態)
  • 最良なのが③の「制約された議院内閣制」:国政の閉塞状況が発生せず、議会や行政府の権限を制約するための仕組み(違憲審査制度など)が様々な形で存在する。

となる。

第二次世界大戦後の日本人にとっておなじみのこの制度こそが、アッカーマン氏の推奨する「新しい権力分立」のあり方である。(抜粋)

三権以外の機関の独立

なぜ権力分立が必要であるかという根本原理に遡って考えれば、権力分立は立法・行政・司法の三種のみ考えればよいのではないことがわかる。三権以外に独立性を確保した方がよい機関として、

  • 選挙管理委員会の独立性:民主主義の正統性を確保するために必要
  • 官僚機構の独立性と自律性:官僚機構が政党政治からの中立性を保ち、政策を遂行できる。これにより官僚機構の政治化を防ぎ、法の支配を徹底できる
  • 中央銀行の独立性:健全な金融政策が短期的な党派的利害に歪められないために必要

などがある。それに加えて著者は、あらゆる人に最低限の生活水準を保証し、配分的正義を実現するために「再分配府(Wealth Distribution Branch)を独立した機関として設置するのも一案であるとしている。

要するに、アッカーマン氏の主張は、権力分立を語る際に、二〇〇年以上前のモンテスキューやジェイムズ・マディソンの議論にこだわってアメリカ型の権力分立を推奨するのは控えるべきだというものである。モンテスキューやマディソンは、たしかにその当時における最新の知見に基づく政治理論であり、憲法理論であった。しかし、彼らは現代のわれわれの置かれている政治状況の分析と問題の解決については、さして頼りにならない。われわれは、現代の最新の政治学の知見に基づいて憲法理論を再構築する必要があるというわけである。(抜粋)

このアッカーマンさんの「新しい権力分立」論によると、日本の体制(憲法)ってのは、あながち悪くないのね・・・・ってことだと思った。たしかにアメリカや同じく大統領制の韓国などを見ていると、政権の交代のたびにやることがガラッと変わってしまって、国民は大変そうですよね。特にこのところのトランプ大統領の行動には、司法も引きずられちゃってるように見えますよね。(つくジー)

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