『忙しい人のための美術館の歩き方』 ちいさな美術館の学芸員 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第1章 タイパの真逆にある美術館 4 余裕のある時代は美術、余裕のない時代は技術
今日のところは「第1章 タイパと真逆の美術館」“その4”、「4 余裕のある時代は美術、余裕のない時代は技術」である。ここでは、これまでの話とちょっと違って、余裕のない時代=幕末・明治時代と余裕のある時代=江戸時代を比べて、江戸時代に花盛りだった美術は、明治期には、西洋の技術の一つとして取り入れようとしていたことを説明し、今は余裕のない時代になっていると主張している。それでは読み始めよう。
タイパ至上主義により美術鑑賞の有用性が取り沙汰されている現代ですが、そのように美術を役に立つもの、有用なものとう尺度でとらえるのは、実は今に限った話ではないのです。結論から言うと、美術が美術して享受され得るのは余裕のある時代だけで、逆に余裕がない時代には美術は実用的な技術として扱われてきました。(抜粋)
余裕のない時代=幕末・明治時代
まず、余裕のない時代の代表として、幕末・明治時代の美術の現状が解説される。
明治維新で政治体制がかわると、新政府は、欧米列強に肩を並べるために近代国家の形成を急いだ。この急激な変化に美術界も翻弄される。幕藩体制が崩壊したことにより、狩野派や土佐派など幕府や大名のお抱え絵師たちの仕事が無くなってしまう。その現状は、狩野派の名門の狩野芳崖や橋本雅邦なども、陶器や漆器の下絵、扇子の絵付けなどの仕事をして糊口をしのがなければならないほどであった。
当時の二人の活動はアーティストではなく、職人と呼ぶ方がしっくりきます。(抜粋)
幕府は、蕃書調所という洋学研究機関を作り、その中に西洋絵画の技法を研究する画学局も設けた。幕末の日本にとって洋画は、西洋に追いつく必要な技術・知識だったのである。西洋絵画の開拓者として名を残す高橋由一も、この画学局に所属していた。高橋は、油彩画は対象を見たままに写し取ることが出来るとし油彩画の有用性を宣伝する。新技術である写真に比べても油彩画の方が記録技術して優れていると力説している。当時、油彩画は写真と並ぶ記録技術として市民権を得ていた。
そして、日本初の美術学校として設立された工部美術学校の設立目的は、「美術学校ハ欧米近世ノ技術ヲ以テ我日本国旧来ノ職風ニ移シ、百工ノ補助トナサンガ為ニ設ケルモノナリ」とされ、殖産興業のために美術を役立てることが求められていた。
余裕のある時代=江戸時代
余裕のある時代の代表として、江戸時代が取り上げられる。
泰平の世が長く続いた江戸時代は、日本美術の黄金期だった。京都には尾形光琳が現れ、〈燕子花図屏風〉(根津美術館)〈紅白梅図屏風〉(MOA美術館)などの卓越したデザインの絵画を生み出した。文人画の世界では、池大雅、与謝蕪村などがルールの捉われない自由な画法で絵を描く。円山派の祖・円山応挙、奇想の画家と称される伊藤若冲なども現れた。若冲は〈釈迦三尊像〉(相国寺)、〈動植綵絵〉(皇居三の丸尚蔵館)などで知られている。
また、庶民向けの美術品として浮世絵が描かた。浮世絵絵師としては、菱川師宣、鈴木晴信、喜多川歌麿、東洲斎写楽、葛飾北斎、歌川広重、歌川国芳などが次から次へと現れた。この浮世絵は、ゴッホ、ゴーギャンをはじめとした印象はの画家たちに大きな影響を与えた。
このように江戸時代の絵師たちの作品をみると、新しい表現を生み出そうとする意欲に満ち溢れ、今の私たちが見ると、まぎれもないアート作品となっている。
長く平和な時代が続いた江戸時代は、それまで特権階級が享受者であった美術が、裕福になった町民にも広がった時代である。一般庶民まで文化・芸術・芸能を享受する世界でも珍しい状況であった。それは非常に豊かな時代だったといえるだろう。
時代に余裕があれば美術が美術として享受され得る、と言ったのはこうした意味です。(抜粋)
この余裕のある時代か余裕がない時代かにより美術に求められるものが違うことは、日本に限らず美術の世界は、基本的にこの繰り返しである。
現代日本のフェーズはどちらか
では、現在はどちらのフェーズであるか。著者は、経済状況からも実感としても現代は余裕のない、美術の実用的側面が注目されやすい時代である、と言っている。そのため、美術館で美術鑑賞をする場合もどんなメリットがあるかを考慮してしまうのである。しかし、現在の日本は時間に余裕がないのでなく、余暇時間を有意義に使わなければならにという切迫感が問題となる。
ただ、誰もが心のどこかで感じているこの焦りのようなものから、自由になるヒントが得られるのもまた美術館なのです。(抜粋)

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