『陰翳礼讃・文章読本』 谷崎 潤一郎 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
文法に囚われないこと —- 二 文章の上達法
文法に囚われないこと —- 二 文章の上達法
今日から「二 文章の上達法」に入る。これまで「一 文章とは何か」において、文章の本質、実用文を書くことの重要性、さらに古典に学び、反面教師として西洋文に学んできた。
それ受けて第二章では、文章の上達法が論ぜられる。今日のところ「文法に囚われないこと」である。ここでは、難しい文法などない日本語では、正確な文章が必ずしも名文でなく、それに囚われないことが必要であると言っている。それでは読み始めよう。
日本語には明確な文法が無いこと
第一に申し上げたいのは、
文法的に正確なのが、必ずしも名文でない、だから、文法に囚われるな。
と云うことであります。(抜粋)
日本語には、西洋語にあるようなむずかしい文法と云うものがない、また専門の国学者でもない限り、文法的に誤りのない文章を書いている人は、一人もいない。
われわれの国の言葉にもテンスの規則などがないことはありませんけれども、誰も正確につかっていませんし、一々そんなことを気にしていては用が足りません。(抜粋)
そして谷崎は、具体に時制(テンス)に関して具体的な例をもって、規則が曖昧出ることを示している。そして、
日本語のセンテンスは必ずしも主格のあることを必要としない。(抜粋)
とし、ここでも、具体的に例を示す。
谷崎は、少し極端かもしれないとしながら、日本語の文法というものは、動詞助動詞の活用や仮名遣い、そして係り結びなどの規則を除くと、大部分が西洋の模倣であるので、習っても実際には役に立たないと、言っている。
左様に日本語には明確な文法がありませんから、従ってそれを習得するのが甚だ困難なわけであります。(抜粋)
日本語の難しさと文法
一般に外国人に取って日本語が一番習得するのが難しいと言われている。西洋語では、英語が習うに一番難しく、ドイツ語が一番やさしいと言われる。それは、ドイツ語が実に細かい規則があるためで、最初にそれを一通り習得すれば、後はその規則に当てはめればよいからである。英語の場合は、ドイツ語ほど規則が綿密ではなく例外がある。
そして日本語の場合はその規則が曖昧で文法学者は何とか説明を加えて体裁を整えるが、甚だ曖昧である。
そう云う次第ですから、日本語を習いますのには、実地に当たって何遍でも繰り返すうちに自然と会得するより外無いと云うのが真実であります。(抜粋)
しかし、学校に行くと必ず日本文法の科目がある。なぜかと言うと、われわれは、外国人と違い生まれた時から日本語に親しんでいるので口で話すにはさしたる困難を感じないが、文章を書くという段になると、外国人と同じように規則が無いことに悩まされる。そのため、学校も基準となる規則を設けて、秩序立てて教えた方が良いことになる。つまり、今日学校で教えている国文法は、便宜上に科学的な国語の構造をできるだけ科学的に、西洋流に偽装したものである。
主格の無いセンテンスの例
国文法では主格の無いセンテンスは、誤りであると教えているが、そう定めたほうが教えやすいからである。実際にはその規則は行われない。人称代名詞の使い方も、欧文のように必然的でなく、使われたり約されたりする。それは、そのようなものを必要としない構造だからである。
ここで、その例として谷崎は自身の『鮫人』という小説を、長文引用する。
この文章は、私が十数年前に書いた「鮫人」という小説の一節でありまして、代名詞の使い方がいかに気紛れであるかを示すために、ここに引用したのです。(抜粋)
そのころ谷崎は西洋文臭い国文を書くことを理想としていた。しかし、その使い方には一貫性がないことを引用文を使って説明している。代名詞についてどんなに英文の真似をしようとしても日本語の体裁からそれが許されず、いつの間にか国文の性質に引っ張られ真似が続かない。
次に谷崎は、比較のために上田秋成の『雨月物語』の「白峰」から長文引用する。物語の主人公は西行法師であり、十センテンスのうち五つまで西行が主格となっているが、主格と見なす言辞は何処にもない。
この文章は谷崎が古典的名文と考える文であるが、このような時間の関係も主人公の存在も分からないような、文章こそ、われわれの国語の特徴を利用した模範的な日本文であると、言っている。
かように申しましても、私は文法の必要を全然否定するのではありません。初学者に取っては、一応日本文を西洋流に組み立てたほうが覚え易いと云うのであったら、それも一時の使法として已むえないのでありましょう。ですが、そんな風にして、曲がりなりにも文章が書けるようになりましたならば、今度はあまり文法のことを考えずに、文法のために措かれた煩瑣な言葉を省くことに努め、国文の持つ簡素な形式を還元するように心がけるのが、名文を書く秘訣の一つなのであります。(抜粋)
関連図書:上田 秋成 (著)『新版 雨月物語 全訳注』、講談社 (講談社学術文庫) 、2017年


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