品格について(その1)
谷崎 潤一郎 『陰翳礼讃・文章読本』より

Reading Journal 2nd

『陰翳礼讃・文章読本』 谷崎 潤一郎 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]

品格について(その1)—- 三 文章の要素

今日から文章の要素ココ参照)の5つ目「品格について」である。この品格を、「一 饒舌を慎むこと」「二 言葉使いを粗略にせぬこと」「三 敬語や尊称をおろそかにせぬこと」の3つに分けて解説している。

この節は、3つに分けてまとめるとする。今日のところは、まず品格と日本人の特性との関係などである。それでは読み始めよう。

文章の品格

品格と申しますのは、云い換えれば礼儀作法のことであります。(抜粋)

文章は大勢に向かって話しかけるものであるから、礼儀を守るべきである。そして文章における礼儀を保つには、

  • 一 饒舌じょうぜつを慎むこと
  • 二 言葉使いを粗略にせぬこと
  • 三 敬語や尊称をおろそかにせぬこと

が必要である。

礼儀というものは、精神の発露であるので、外見を整えても精神が欠けていてはいけない。

品格のある文章をつくりますにはまず何よりもそれにふさわしい精神を涵養かんようすることが第一でありますが、その精神とは何かと申しますと、優雅の心を体得することに帰着するのであります。(抜粋)

日本人の特質と優雅の心

西洋の国民性と比べると、日本の国民性はおしゃべりでないことであると前に述べた(ココ参照)が、品格にはそのことが関係している。

私の云う優雅の精神とは、このわれわれの内気な性格、東洋人の謙譲と徳と云うものと、何かしら深いつながりがあるところのものを指すのであります。(抜粋)

西洋には、自己の尊厳を主張し、他を押しけても己れの存在や特色を明らかにしようとする気風がある。自己の思想や感情や観察等を述べるときも、内にあるものをことごとく外へさらけ出し己の優越を示そうとする。

しかし東洋人、日本人は昔からそれとは逆である。我々は運命に反抗しようとせず、それに順応することに楽しみを求めた。自然に対しても柔順であるのみならず、それを友としてきた。自分の独特の考えを吐露する場合でも、それを自分の考えとして発表せず、できるだけ人の言に仮託するとか、先例や典拠を引用し、「己れ」を指しすぎないように工夫をした。

われわれの言葉も文章も、その習性に適するように発達した。(抜粋)

優雅と云うのは、日本人の己をむなしゅうして天を敬い自然を敬い人を敬う謙遜けんそんな態度、おのれの意志を控え目にする心持、である。そして品格礼儀とは、この優雅の得の一面に外ならない。

謙遜の美徳と西洋の思想

しかし、西洋流の思想や考え方が輸入され、道徳観に一大変化をきたしたことにより、この謙譲の精神や礼儀深い心を失いつつある。それは、一概に悪いことではない、現代においては、昔のように引っ込み思案であっては、取り残され、科学文明世界の敗者になってしまうため、西洋人の気象に学ぶべきは明らかである。

しかしわれわれの国民性とか言語の特質とかは、長い歴史があるため一朝一夕に改良できるものではない。そのような無理な企ては悪い結果をもたらすものとなる。

それにまた、われわれの流儀にもおのずから長所があり美点があることを忘れてはなりません。(抜粋)

西洋はともかく、われわれの場合には、内輪な性格に真の勇気や、才能や、智慧ちえや、胆力が宿るのである。われわれは内にあふれるものがあればあるほど、却ってそれを引き締めるようにする。そうでれば、控え目と云うのは、内部が充実し、緊張しきった美しさであり、強い人はそう云う外貌がいぼうを持つ。そのため、本当に実力を備えた人は大概寡言かげん沈黙であり、いよいよと云うときが来なければ、みだりに外に現わさない。

われわれの国民性は、昔も今も変わらないため、現代でも平素は西洋風の思想や文化が支配しているが、危急存亡の際にあたって国家の運命を双肩そうけんになうひとは、古い東洋型の偉人が多い。

われわれは西洋人の長所を取って自分たちの短を補うことは結構でありますけれども、同時に父祖伝来の美徳、「良賈りょうこは深く蔵する」という奥床しい心根を捨ててはならないのであります。(抜粋)

日本語の特長

われわれの国語には一つ見逃すことの出来ない特色があります。それは何かと申しますと、日本語は言葉の数が少なく、語彙ごいが貧弱であると云う欠点を有するにも拘わらず、己れを卑下し、人を敬う云い方だけは、実に驚くほど種類が豊富でありまして、どの国語に比べましても、はるかに複雑な発達を遂げております。(抜粋)

自分と相手方との相違、つり合い、時々の場所柄などより、多種多様な区別がある。文体の種別で取り上げた「講義体」「兵語体」「口上体」「会話体」(ココ参照)などの区別も、そう云う心づかいから起こっている。

このようにいろいろな品詞にわたり、幾通りの差別を設け、多種多様な云い方を工夫しているのは、他の外国語にはないことである。

これらの事情を考えますと、われわれ日本人ほど礼節を重んずる国民はなく、従ってまた、国語もその国民性を反映し、それにしっかり結び着いて来ていることが、分かるのであります。(抜粋)

コメント

タイトルとURLをコピーしました