調子について(後半)
谷崎 潤一郎 『陰翳礼讃・文章読本』より

Reading Journal 2nd

『陰翳礼讃・文章読本』 谷崎 潤一郎 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]

調子について(後半)—- 三 文章の要素

今日のところは、「調子について」の”後半“である。”前半“では、文章の「調子」という者の概略と、代表的な調子として「流麗な調子」「簡潔な調子」が説明された。今日のところ”後半“では、それらの派生としの「冷静な調子」「飄逸ひょういつな調子」「ゴツゴツした調子」が取り扱われる。それでは、読み始めよう。


文章の調子は、大別すると「源氏物語派(流麗派)」「非源氏物語派(簡潔派)」に大別される、がこのほかにもいくつかの調子がある。

三 冷静な調子

この二つの調子の他を考えると「冷静な調子」というものがある。これは、言い換えれば調子の無い調子である。文章には流麗なものにしても、簡潔なものにしても、何らかの流れがあるが、その言葉の流れがない、全然流露感のないものがある。

しかし流露感がないからと云って必ずしも悪文とは限りません。流れの停滞した名文と云うのもあります。(抜粋)

その最も優れたものになると、書いてあるものが一目瞭然となり、読者の頭の中までキチンと整理されたようになる。

この調子で文章を書くのは学者肌の人が多い。学者は客観的に物事を眺め、明晰めいせきな頭脳に照らして判断する、情熱より精神の平衡と冷静とが要求されるため、自然に書くものまでそうなる。やはり体質の問題である。

谷崎は、この調子の代表としてドイツ哲学者のカントをはじめとする大学者の文章であると言っている。芸術家も学者肌の作品はそう云う傾きがあり、漱石の「漾虚集ようきょしゅう」時代のもの薤露行かいろこう、「倫敦ろんどん塔」など)や鴎外「即興詩人」「高瀬舟」「山椒大夫さんしょうだゆうがんなどを挙げている。

四 飄逸な調子

「一 流麗な調子」の変態として飄逸ひょういつな調子」というものがある。これは南方熊楠みなかたくまぐすの随筆三宅雪嶺みやけせつれいの論文が代表例である。小説家では、武者小路実篤むしゃのこうじさねあつの或る時期のもの佐藤春夫の「妖精伝」などがある。

この調子は、流麗な調子の変化したもので、飄々ひょうひょうとして捉えどころのない調子である。技巧からの説明はしようがない。

この調子で書くには、一切の物欲がない必要がある。そして何の気迫もなく、横着に、やりっ放しに、仙人のような心持ちとなる必要がある。そのためそのような心境に達すればおのずからこの調子となる。

ただ、これこそ本当の東洋人の持ち味でありまして、西洋の文豪でそう云う風格を備えているものは、ほとんど一人もいないと申して差し支えありません。(抜粋)

五 ゴツゴツした調子

「二 簡潔な調子」の一変化として「ゴツゴツとした調子」がある。これは、不用意に読むと悪文だと云う感じを受けるが、本来の悪文と違うところは、それを作る人が流麗な調子や簡素な調子をことさら避け、ゴツゴツとした文章を作ることである。

このわざと読みづらいゴツゴツした文章を書く目的は、あまり流暢に書くと読者がそれにつられて、一気に読んでしまい一語一語に深く意を留めない恐れがあるからである。

流麗派に比べて簡素派の書き方は、要所要所で流れを堰き止めて、両岸の景色をはっきりと印象づけるが、それでもその流れには爽快感がある。

そこで、もっとよく陸地を見てもらうには全然流れの快感を与えないのが一番よいと、こうゴツゴツ派は考えるのであります。(抜粋)

この書き方は、「三 冷静派」のように調子がないのではない。むしろ調子に敏感なため、わざと調子を殺している。そこに「ゴツゴツとした調子」という味のある調子が生まれる。音声要素をゴツゴツさせ、視覚的要素の文字なども、わざと片仮名にしたり、変なめてみたり、仮名使いを間違えたり、字面を蕪雑ぶざつにするなどの手段をとる。一見、頭の悪い人間が書いたようにも見えるが、それだけの用意があって書く悪文のため、悪文の魅力と云うものがあり、読者をひきつける。

この調子はいかにも技巧的なものに見えるが、実は体質のなせるわざであり、当人はそんな技巧を使っているとは思わず自然に書けるのである。この天成のゴツゴツ派としては、滝井折柴せつさいがいる。

調子というもの

ここで注意することとして、作家がこの五種類の調子のどれかに属するというわけではない。体質は生まれつきのものであるが、その人の境遇、年齢、健康状態により後天的にも変わるものである。また実際には、純粋にどれか一方へ属している作家は少ない。流麗調三分に簡潔調七分、冷静調五分に簡潔調五分などそれぞれである。

そして、この調子はそれぞれ長所と短所があるため何れかが良いというものではない。そして谷崎は、ゲーテの文章についてこのように述べている。

私はゲーテの作品を原文で読んだことはありませんが、英訳や日本訳によって受けた印象を申しますと、同じ一つの文章が、視角を変えるごとに、或る時は流麗調の如く、或る時は簡潔調のごとく、また或る時は冷静調のごとくに感ぜられる。そうした三つの長所を、おのおの十分ずつ、完全に具備しているように見える。かくの如きはまれな名文でありまして、その天分の豊かなことを語っているものでありましょう。(抜粋)

関連図書:
夏目漱石 (著)『倫敦塔・幻影の盾』、新潮社 (新潮文庫) 、1952年
アンデルセン (著)(森鴎外 訳)『即興詩人』(上、下)、岩波書店 (岩波文庫) 、1928年
森鴎外(著)『山椒大夫 高瀬舟即興詩人』、岩波書店 (岩波文庫) 、2002年
森鴎外 (著)『雁』、新潮社 (新潮文庫) 、1952年

コメント

タイトルとURLをコピーしました