『本を読む本』 M.J.アドラー / C.V.ドレーン 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第四部 読書の最終目標 15 読書と精神の成長
今日のところは、「第四部 読書の最終目標」「15 読書と精神の成長」である。前回、読書の最終目標である「シントピカル読書」(”前半“と”後半“を参照)の説明が終わった。今日のところでは、著者が言い残したことを述べるとしている。ここでは、良書を読むということが、人の精神の成長に欠かせないという著者の思いが語られる。それでは、読み始めよう。
良書と積極的読書
すぐれた読者になるためには、楽に読める本ではなく、自分の力以上に難解な本に取り組む必要がある。そのような本こそ心を豊かにしてくれる本で、心が豊かにならなければ学んだとは言えない。読者は、自分に多くを求め積極的に努力して読むものであり、分析読書に値するような本は、読者に多くを求める。
このような本は読者の手に負えないと思うかもしれないが、この本で述べている読書法を活用すれば読めない本などはないので、精神を啓発してくれる本を探し求めて読めばよい。
精神を成長させ続ける良書
現在は膨大な量の本が出版されている。その大部分は、娯楽または情報のための本であり、読書の技術を磨くのにふさわしい本ではない。
しかし、極めて少ない数であるが、人間に永遠の問題に関する重要な洞察を与える本もある。このような本は一度分析読書を試みるに値する本である。
読書技術を心得ていれば、一度熟読すればその本が与えてくれるものを残らず吸収することが出来るので、その本は再読する必要はない。この再読の必要が無いということは本を読んだときに感じるものである。
しかし、正真正銘の良書となると、最高の読書術を駆使しても、完全には理解できない。精一杯取り組んでも、まだ自分に読みとることができないものが残っているような気がする本である。このような本は、後にもう一度再読すると、本が読者とともに成長していることに気づく。その本から読者が気がつかなかった、まったく新しい事実を多く発見するのである。それに対して、二流の本は、再読するとすでに読者が本のレベルを追い越しているため、奇妙に色あせて見えるものである。
このような正真正銘の良書は、読者にはなかなか乗り越えることが出来ず、再読することにより読みが深まっていく。そして一生のあいだ、その本を読むことによって読者は成長し続ける。
積極的読書と精神の成長
人間の精神には一つ不思議なはたらきがある。それはどこまでも成長しつづけることである。(抜粋)
肉体とは違い精神はどこかで成長が止まることはない。この精神の成長は人間の偉大な特質である。
しかし、精神も使わないと委縮するおそれがある。人はまわりにあるテレビやラジオなどの娯楽や情報源だけに接し、外からの刺激だけに反応していると、やがて精神が麻痺し知的にも道徳的にも成長が止まってしまう。
積極的な読書は、それ自体価値のあるものであり、それが仕事のうえの成功につながることもあるだろう。しかしそれだけでのものではない。すぐれた読書とは、われわれを励まし、どこまでも成長させてくれるものなのである。(抜粋)
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