『ゴッホ<自画像>紀行』 木下長宏 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
付 描かれたゴッホ
ゴッホの「自画像の時代」に当たるパリ・アルル時代、交流のあった画家により肖像画が制作されている。制作されている。今日のところは、そんなゴッホの肖像画についてである。

まず、著者はゴッホのパリ時代の肖像画として図71ラッセル「ヴィンセント・ファン・ゴッホの肖像」 [1886年、油彩、カンヴァス]と図72ロートレク「ヴィンセント・ファン・ゴッホ」[1887年、パステル、紙]の2点を取り上げている。
ラッセルのゴッホは、ゴッホを描いた絵の中で最も肖像画らしい肖像画であり、ゴッホもこの絵が気に入っているとしている。ロートレックがパステルで描いた絵はカフェでの議論の最中のゴッホをパステルで素早く描いている。
個人的には、このロートレクのパステル画のゴッホがその人柄が伝わってくるようでとてもよい作品だと思う。(つくジー)
次に、アルル時代、ゴーギャンによるゴッホ、図73「ひまわりを描くヴァン・ゴッホ」[1888年12月]を取り上げている。ゴーギャンとゴッホの共同生活は結局二か月で破綻するが、ゴーギャンはゴッホのひまわりが気に入っていて、アルルを離れてからあらためて「ひまわり」の絵が欲しいと申し出ているのだという。このゴーギャンの絵について著者はこのように評している。
この作品は、ラッセルやロートレックの肖像画と比べると、ゴーギャンの意図による画面操作が濃い。しかし、花瓶に生けられた花の一本の(・・・挟み込み部 略・・・)その中心部に赤い円い線を入れている。これは、ヴィンセントの「ひまわり」に入れられていた線で、ゴーギャンは、写生ではなく、「ヴィンセントのひまわり」を描いたのである。(抜粋)
次のベルナールの描いた肖像画、「ヴァン・ゴッホの肖像」[図74、1892年]は、ゴッホが亡くなって後、ベルナールが書いた雑誌に載せたゴッホの紹介記事のために描いたものである。これは、ゴッホの「自画像」[図34]を模写したものである。
次のジェラールによるゴッホの肖像、「ヴァン・ゴッホの肖像」[図75、1897年、油彩、カンヴァス]は、ゴッホを知らない彼女が「日本の僧侶(ボンズ)になった自画像」を模写したものである。しかし、これがのちに「自画像」として画廊に陳列されてしまい、彼女の証言で贋作と認定されてしまった。そして、現在所蔵先も分からなくなっている。
最後に取り上げられている、ハートリックによる肖像、「ヴィンセント・ファン・ゴッホの肖像」[図76、1913年、水彩・インク、紙]は、ハートリックの自叙伝に自分もゴッホの友人であったことを示すために作られた。
ラッセルの肖像画と比べると、すでに、狂気と自殺の神話に染められたヴィンセント描こうとする気持ちが出ているのを感じられる。(抜粋)
図71 | ラッセル「ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの肖像」1886 | Searching now. |
図72 | ロートレック「ヴィンセント・ファン・ゴッホ」1887 | Searching now. |
図73 | ゴーギャン「ひまわりを描くヴァン・ゴッホ」1888.12 | https://artsandculture.google.com/asset/vincent-van-gogh-painting-sunflowers/XgHfqMF7DBqobQ?hl=ja |
図74 | ベルナール「ヴァン・ゴッホの肖像」1892 | Searching now. |
図75 | ジェラール「ヴァン・ゴッホの肖像」1897頃 | Searching now. |
図76 | ハートリック「ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの肖像」1913頃 | Searching now. |
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