『ゴッホ<自画像>紀行』 木下長宏 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
III 弱者としての自覚 — 自画像以降の時代
5. 遠くへのまなざし — サン・レミ・ド・プロヴァンス(その1)
ゴッホが、再起を願ってサン・レミ施療院に移った。そこで描いた自画像は、パリ時代、アルル時代と異なり、むしろ伝統的な自画像に近い物であった。
ここでは、サン・レミ施療院で描いた自画像の変遷とゴッホの自画像の到達点について書かれている。

ゴッホはサン・レミに来てしばらく自画像を描かなかった。そして、四ヶ月後にやっと自画像を描き始める。テオの手紙に2枚の自画像を描いていると記されていた。この手紙に記されている2枚の自画像については、多くのゴッホ研究者は、病み上がりの自画像として図60 [「自画像(伝)」、制作年不明、油彩、カンヴァス]を当てているが、これについては、著者は幾つかの点から疑念をいだき、むしろその自画像にふさわしいのは、図61の「自画像」[1889年9月、油彩、カンヴァス]ではないかと言っている。
(図60の絵の疑念については、小林秀樹の『ゴッホの証明』、2000年と『「ゴッホ」にいつまでだまされ続けるのか』、2011年を参照との事)
次にテオの手紙に記されているもう一枚の「自画像」[1889年9月、油彩、カンヴァス]については、著者はこのように評している。
図62は、たぶん図61を作って、一つの段階を経過し気持ちが落ち着いたのではないだろうか、じっくりと腰を据えて、筆を運んでいる。この絵は、ヴィンセントの自画像のなかでも、いやヴィンセント全作品のなかでも、ポスターや画集の表紙などに、よく使われているが、それは、そんな落ち着いた筆運び(ストローク)を感じさせる完成度の高さが味わえるからだろう。(抜粋)
ゴッホは、テオへの手紙の中で、
「もし、さらにあと一年仕事ができるのなら、ぼくは、芸術の考え方について、確信を持てるようになる」(抜粋)
書いている。著者は、
この自画像[図62]は、そんな明るい展望と確信を仄めかしたものだ。(抜粋)
この図62の「自画像」の背面はS字を描くようなタッチで描かれている。この筆運びは、サン・レミに来た当初に描いた糸杉や「星月夜」[図63、1889年6月、油彩、カンヴァス]で用いたものと同じで、ゴッホの思索の痕跡であると著者は指摘している。
ここで著者は、サン・レミ時代に書いたもう一枚の「自画像」[図64、1889年9月、油彩、カンヴァス]について触れている。
この図62の「自画像」は、ずっと以前にオルセー美術館に行った時に見た覚えがある。オルセーには印象派の絵が多くあるのですが、わりと見馴れていて「あ~教科書とおんなじだぁ~」みたい感じでした。でも、この図62の「自画像」は、心に残るものがありました。ちなみにあと覚えているのは・・・・ドガのパステル画だったりします。(つくジー)
関連図書:
小林秀樹(著)『ゴッホの証明―自画像に描かれた別の顔の男』、情報センター出版局、2000年
小林秀樹(著)『「ゴッホ」にいつまでだまされ続けるのか―はじめてのゴッホ贋作入門』、情報センター出版局(YUBISASHI羅針盤プレミアムシリーズ)2011年
図60 | 「自画像(伝)」制作年不明 | http://www.vggallery.com/painting/p_0626.htm |
図61 | 「自画像」1889.9 | Searching now. |
図62 | 「自画像」1889.9 | http://www.vggallery.com/painting/p_0627.htm |
図63 | 「星月夜」1889.6 | http://www.vggallery.com/painting/p_0612.htm |
図64 | 「自画像」1889.9 | http://www.vggallery.com/painting/p_0525.htm |
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