「嘉納治五郎」(その1)
斎藤兆史『英語達人列伝 II』より

Reading Journal 2nd

『英語達人列伝 II』 斎藤兆史 著 
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

I章 嘉納治五郎(前半)

英語の達人一人目は、嘉納治五郎! え?嘉納治五郎って‥‥柔道の?と思ったら、本当にそうだった。嘉納は、「柔道」で有名であり、「教育」で有名であり、そして「英語」で有名なのだそうだ。もっとも著者の斎藤も「英語」は、意外だったといっている。

っま、もっともボクなんかは、英語はもとより、教育で有名なのも知らなかった。なんというか、大変失礼なことに極真空手の大山倍達と同類の人かと思っていた。(そう書くと、大山倍達に失礼かな?)


著者は、英語の達人としての嘉納については、John Stevens, The Way of Judo: A Portrait of Jigoro Kano and His Students, 2013 及び、庭野吉弘 著『日本英学史叙説 – 英語の受容から教育へ』(2008)を参考にしている。

ここではまず、「柔道」、「教育」、そして「英語」に絡めながら嘉納の華麗な人生が描かれている。絵にかいたような立派な人生である。身体が小さく学生の頃に多少いじめられたっポイのを除けば影のひとつもない。身体が小さいハンディーもそれが柔道への道につながるのだから、もう立派としか言えない。ここで、嘉納の柔道の力量が語られる時に引き合いに出される、欧州視察帰りの船上で起こった「ロシア人との柔道対決」の逸話も語られている。これも、もとはと言えば嘉納の英語力が引き起こした事件なのだそうだ。

かずかずの嘉納の逸話に、引かれて著者はちょっと脱線して、”上達曲線“の話をしている。上達曲線とは、どんなことでも最初のうちは、努力すれば努力するだけ上達するが、そのうち一向に上達しなくなってくる、しかし、そこで我慢して努力しているとある時、ふっと高いところに引き上げられる、というものである。嘉納の柔道の体験談の後に、著者はこう書いている、

語学もこれと同じである。初学のうちは、語彙、発音、文法を覚えながら、ほぼ右肩上がりで上達していく。しかしながら、やがてその伸びが緩やかになってくる。ここが踏ん張りどころだ。
上達曲線が波形を描こうが、下降しようが、ひたすらに努力を続けていると、あるところでその線が急上昇することがある。(抜粋)

さらに、ここで著者、斎藤の信念も書かれていて、それもすごい。

僕は、英語学習もほかの稽古項目も、上達の鍵を握るのは努力だと信じている。Genius is an infinite capacity for taking pains. (天才とは、無限に努力することのできる才能である)というのが、座右の銘だ。(抜粋)

関連図書:John Stevens, The Way of Judo: A Portrait of Jigoro Kano and His Students, 2013 
     庭野吉弘著『日本英学史叙説 – 英語の受容から教育へ』、研究社、2008
     嘉納治五郎生誕一五〇周年記念出版委員会編、『気概と行動の教育者嘉納治五郎』、2011

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