『文章の書き方』辰濃 和男著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
<広場無欲感>の巻 — 現 場
著者は、まずマルコス大統領夫妻が宮殿を脱出した時の新聞記事を取り上げ、
文章の生命は現場です。(抜粋)
としている。
現場を見ることで、ものごと個性を見つけられる、と現場を見る観察する事の重要性を多くの実例を挙げながら解説する。
ここでは、その一例として沢村貞子の話を抜粋する。
漬物の話です。
「暑さにうだる夏の夜でも、濃い紫にひかる茄子は食欲をそそる。きれいな色を出すためにぬか床に包丁や釘をいれる、などという話もきくが、わたしは焼みょうばんをつかっている。薬局で買った固まりをすこしずつ、乾いたフキンにつつみ、金槌でそっと叩いて粉末にしておく。なるたけ新しい茄子をえらび、少量の塩で皮をなでるように優しく、まんべんなく揉んでやる。手ざわりがなんとなくやわらかい感じになったら、左の掌に一つまみのみょうばんをひろげ、その上に右手でもった茄子をくるりくるりところがす」
この短い文章のなかにはいくつもの動詞がでてきます。「使う」「買う」「つつむ」「叩く」「えらぶ」「揉む」「ころがす」。動詞の主語はすべて私、つまり沢村です。沢村は台所という現場での自分の体験を細密に見つめ、それをきちんと書いている。「なでるように優しく、まんべんなく揉んでやる」なんていう表現は現場にいなければ書けません。体験の数々はこのような動詞で表されます。沢村の文章がきわめて具体的で、わかりやすいのは、動詞を文章の基本にしているからだ、と私は思っています。(抜粋)
引用部:沢村 貞子 (著)「わたしの台所 」光文社(光文社文庫) 2006
沢村 貞子 (著)「わたしの台所 」朝日新聞社 (朝日文庫) 1990
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