『アサーション入門』 平木 典子 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第二章 「人として誰もがやってよいこと」を認め合う
今日のところは、「第二章 「人として誰もがよってよいこと」を認め合う」である。第一章では、三つの自己表現、つまり「非主張的自己表現」「攻撃的自己表現」「アサーティブな自己表現」について学んだ。それを受けて今日のところ、第二章では、 「アサーションを実行することを躊躇してしまう心理」、「自分を大切にすること」「人間として誰もがやってよいこと = 人権」につい学ぶ。それでは、読み始めよう。
アサーションは、「自分も相手も大切にするコミュニケーション」である。しかし日常では、相手に気を使いすぎてしまったり、自分にブレーキをかけてしまうことも多い。
本章では、そのようなブレーキをかけないようにするために、「人として誰もがやってよい」三つのことを紹介する。
「人間として誰でもやってよい」三つのこと
① 私たちは、誰もが自分らしくあってよい
「私たちは、誰でも自分らしくあってよい」とは、「自分の気持ちや考えを持ち、個性を大切にしてよい」ということである。
ここで、誰もが自分らしくあってよいとは、自分も他人もその人らしくあってよいということであるため、共に生きていくことはそう簡単ではない。人はそれぞれ意見や感じ方が違っているため、私たちは日常的に葛藤を経験する。ここで大切なことは「ただ違っているだけなので、自分を卑下したり、逆に相手を劣っていると思ったりしない」ことである。
私たちは誰もが自分らしくありたいし、同時に他者と共に生きていく必要があるので、違いを知り、そこから起こる葛藤を解決するために、アサーションが必要なのです。(抜粋)
アサーティブな自己表現は、個性の違いを理解し合い、互いに受け止め、大切にするために必要である。
② 人は誰でも自分の気持ちや考えを表現してもよい
「人は誰でも自分の気持ちや考えを表現してもよい」は、「自己表現の権利」とも言われる。②の「自分らしくあってよい」ということは、自分らしさを表現することで実現できる。他人の尊厳を侵さない限り、自分の思いを表現してよく、自分の気持ちや考えをわかってもらおうとしてよいということである。
この「自己表現してよい」ということを確信していると、人の意に反したことは言ってはならないとか、困ったことを伝えたり助けを求めたりしてはならないと思わないで、どう伝えるかを考え、自分の気持ちや感情を躊躇なく表現できるようになる。
人を不愉快な気持ちにさせないように、自分の気持ちを抑え伝えないでいることは、相手に自分の気持ちを伝えるチャンスを失うことである。その場は、何事もなく進むかもしれないが、誤解のうちに人間関係が作られてしまう。
しかし、自分の気持ちや意見をしっかり言えば、相互理解が進み、葛藤を一緒に乗り越えていくことが出来る。
③ 人間は過ちや間違いをし、それに責任をとってもよい
「人は過ちや間違いをし、それに責任をとってもよい」は、「人間である権利」とも言われる。人間は、過ちを犯すこともあることを認め、そして、その過ちに対して(完全ではなくとも)責任をとればよい、ということである。
人間は、犯した過ちに対して、完璧に償うことが出来ないも多い。
そこで、アサーションでは「償う / 謝ることも権利」と考えるのです。(抜粋)
人は犯した誤りに対して、完璧に償えないが、謝ることはできる。この謝るということが誤りを犯した側のアサーティブな表現である。そして、その謝りを受け入れ、許すことが、被害を受けた側のアサーティブな表現である。
先に述べたように「謝ることは権利」です。被害を受けた方は「相手の謝罪の権利を認める」、そう考えて謝罪を聴くのです。(抜粋)
「やってよいこと」は意外にたくさんある
このようにアサーションでは、「人として誰もがやってよい」ことを認め合うことが重要であると考える。そしてその考えに従えば、多くのやってよいことがある。
- この依頼を断ってはいけないのではないか
- 無視されたのは、私がとるに足りない人間だからだ
- 自分の希望は控えめに述べるべきだ
- 感情、特にマイナスの感情(怒り、悲しみ、寂しさなど)は表現しない方がよい
- 失敗するといけないので、これは止めておこう
など、消極的な気持ちになったとき、これを人間としてやってもよいかどうか、3つの項目に当てはめて考えるとよい。
迷ったときは、自分の権利について確かめ、やってよいことには自信を持って自己表現をしていきましょう。(抜粋)
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