連邦憲法制定会議(その1)
上村 剛 『アメリカ革命』 より

Reading Journal 2nd

『アメリカ革命』 上村 剛 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]

第3章 連邦憲法制定会議 ― 一七八七年 (その1)

今日から「第3章 連邦憲法制定会議」に入る。アメリカは独立を果たした(第2章“その1”、“その2”、“その3”、“その4”参照)が、連合会議はすぐに行き詰ってしまう。その局面を変えるためにフィラデルフィアにおいて連邦憲法制定会議が行われた。ここで採択された合衆国憲法が、現在のアメリカの繁栄の基礎となっている。

第3章では、この連邦憲法制定会議の様子を追っている。著者は、この会議は、4つの段階に分けられるとして、それを起・承・転・結と分けて解説している。第3章は、3つに分け、“その1”で会議の始まりと主な参加者、さらには会議の起・承・転・結の各段階の概説についてまとめ、“その2”で起・承の二つの段階の詳細、“その3”で転・結の詳細についてまとめることにする。それでは、読み始めよう。


今日、合衆国憲法制定会議、フィラデルフィア憲法制定会議、などといった名前で知られているこの会議は、独立宣言と並ぶ建国史のハイライトである。いや、独立宣言以上に重要であると言ってもよい。ここで作られた憲法こそ、その後今日に至るまで運用されてきたものであり、覇権国家アメリカを今なお支える屋台骨だからである。(抜粋)

大統領(任期4年、人々が選んだ選挙人団によって選出)や連邦議会(上院と下院があり、上院は各州から対等に二名ずつ、下院は各州の人口に応じて選出)、連邦裁判所などがこの憲法で規定されている。そして、厳格な三権分立をとり、大統領は連邦議員になれず、大統領は議会に対して条件付きで拒否権がもつ。連邦最高裁判所の判事は独立性を高める目的で終身任期となる。

これらの、一つ一つが、この憲法制定会議における発明である。このようなしくみになっているのも、数ヵ月の激論の成果だ。(抜粋)

立法者論

政治思想史のトピックスとして「立法者論」というものがある。これは、「国家が発展するためには、最初に一人のカリスマ的人物がその国に適した基本国制を定めるべき」というものである。これは、最初に国制の土台をきちんと定めておかないと、途中から軌道修正が難しいことに由来する。

ここで、立法者は一人のカリスマが前提であるが、アメリカ憲法では、多くの人が憲法制定に関わっている。これは政治思想史の常識にあてはあらない。

ここで著者は、なぜ成功したのかは、単純な説明が困難として、本章では、憲法制定会議の具体的な展開を追うとしている。

連邦憲法の立法者の横顔

連邦憲法の制定には五五人の立法者がいた。ここではその中から発言が多く、重要な役割をした七人の紹介がある。

ジェイムズ・ウィルソン

スコットランドからの移住者。ペンシルヴェニアの有力政治家。会議では最多の発言。連邦憲法に主張が一番反映されている。

ジェイムズ・マディソン

ヴァージニア代表。「連邦憲法の父」と呼ばれる。連邦憲法制定会議の詳細な議事録を作った。

アレクサンダー・ハミルトン

ニューヨーク代表。西インド諸島出身で、立身出世の代名詞のような存在。強い連邦政府を主張した。

ロバート・モリス

ペンシルヴェニア代表。戦争末期に財政を一手に支え、その反動で自身も大量の借金を抱え、投獄の憂き目にあった。

ガヴァナー・モリス

ペンシルヴェニア代表。ロバートを支えたビジネスマン。フランス革命時に商用でパリに赴き、その後フランス大使となる。強力な連邦政府の支持者。

ウィリアム・パターソン

ニュージャージー代表。アイルランド出身。ニュージャージーを代表する法律家。比較的小さい邦の権利の確保に努めた。

ロジャー・シャーマン

コネティカット州代表。苦学して出世。独立宣言の起草者の一人。

出席者たちの対立

彼らは、それぞれの邦の利害を背負っていたため、会議はしばしば紛糾した。

  • 大きな邦と小さな邦の対立:大きいと小さい邦の尺度は、人口である。大きい邦の代表はヴァージニア、ペンシルヴェニア。小さい国の代表は、ニュージャージー、デラウェアである。
  • 北部と南部の対立:奴隷制をめぐり意見が対立。経済基盤や地理的な状況が違うため、異なる利益をめぐって対立する傾向があった。

連邦憲法制定会議の流れの概略

連邦憲法制定会議は、四ヵ月弱に及んで開催されたが、それを四つの段階(起承転結)に分けることが出来る。

  • 第一段階(起):マディソンの素案を検討する段階。邦議会の権力を制限し、大きな国が連邦で権力を持つような特徴を持つ。小さい邦が激しく反発し対立が起こる。
  • 第二段階(承):小さい邦は、邦の独立性が高い連邦を望む。大きい邦と小さい邦の代表が妥協を重ねて歩みよる。
  • 第三段階(転):具体的に憲法の条文を書きあげる。
  • 第四段階(結):実際の憲法案の作成と署名。奴隷の問題や権利章典の問題が持ち上がるが、なんとか憲法案が各邦にはかられることになり、会議が終了。

このような議論の中で一番時間を割いたのは、任命権(対となる罷免権)の問題である。これは、テクニカルな統治機構の問題を超えて政治に本質的な問題である。

マディソンとヴァージニア案

マディソンは憲法制定会議の一週間以上も前にフィラデルフィアに入り、同じくヴァージニアのエドマンド・ランドルフと共に憲法案(「ヴァージニア案」)を作る。そして、彼らは、開催場所のペンシルヴェニア邦の代表と会合し、強い連邦政府を作るべく討議をしている。

ヴァージニアとペンシルヴェニア、この二つの邦が強い連邦政府をつくるためにこうして主導権を握ったのである。(抜粋)

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