(初出:2008-07-23)
中国の五大小説」(上) 井波律子 著 (読了08)
『西遊記』の巻 — 巨大な妖怪テーマパーク 八 あと一難、の面白さ — 旅のゴール
三蔵一行は、80難を経てやっと天竺に到着する。ここでやっと三蔵は凡胎を脱する。天竺でもひと波乱の後、三蔵はやっと経典を手に入れた。しかし、ここで西天取経の旅にかけた日数が五千四十日に対し与えられた経典が五千四十八巻であり、八日足りない事が判明した。そこで、一行は八大金剛の雲に乗って長安まで行き経典を届けた後8日以内に天竺まで戻ってくることになる。そして、さらに一行が受けた災難も八十難で三蔵がクリアーすべき八十一難に一つ足りない事もわかったため、途中で雲から落とされさらに一難を与えられることになる。
長安に帰り経典を届けた後、天竺に帰った一行は、それぞれ釈迦如来から前世の罪を許され天界に復帰、さらに前身よりも高い地位を与えられる。
『西遊記』では時間や距離に関する感覚があまりなく、むしろ最初から超越的な時間軸で話が進んでいるといえる。また先行する話が次の話の伏線になるという時間的連続性もほとんどなく、極端な話、話の順序を入れ替えても、物語の進行に支障をきたす事がない。
さらには、西遊記世界の登場人物たちは時間の経過につれて、成長したり衰えたりする事がまったくない。『西遊記』ではあるべきキャラクターがあるべきスタイルの活躍をするという「約束」を守ることにより、安定した世界を作り出している。
『西遊記』に限らず他の五大白話小説においても、登場人物の内面的変化でなく、外在的な事柄の関係性を核にして物語が展開されている。登場人物の性格は固定されていて成長、変化することがなく、さまざまな出来事が連なっておこる「事柄の関係性」が、物語の縦糸になっている。
外在的な「事柄の関連性」および「登場人物の関係性」を描くことをポイントとする中国古典小説において、個々の登場人物はどのように描きわけられているでしょうか・これまた、登場人物の内面描写や心理描写はほとんど見られず、彼らが社会や集団において果たす役割とか、特徴的な行動形態とか、あるいは風貌や得意技などの外在的要素を中心とした描写がなされているのが、大きな特徴です。(抜粋)
これは、「見えるものの記述」が、内面や心理のような「見えないものの記述」に優先することを示し、中国古典小説の「語り手」は、ヨーロッパの小説における、すべてを透視する「全能の語り手」とは根本的に異なっている。中国古典小説では、内面や心理にかかわることは、登場人物の会話の中で表現されるだけで、作者が「全能の語り手」として登場人物の内面まで透視し、その心理状態まで説明することはありえないのである。この「全能の語り手」を否定することは、新しいヨーロッパの現代小説に通じるところがある。
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