(初出:2008-07-09)
「中国の五大小説」(上) 井波律子 著
『西遊記』の巻 — 巨大な妖怪テーマパーク — 天地をかけめぐるスーパー猿 — 孫悟空登場
『西遊記』は、最初は孫悟空の物語と三蔵法師の物語がバラバラに語られていたものと推定される。それが、宋時代に『大唐三蔵取経詩話』として一つのストーリーにまとまり、後に講釈師の語りの和本-テキストーとして使われるようになった。そして明中期と、かなり時代が下がってから著者と目される呉承恩により和本が整理されて物語が固まった。このため、文章は文法的にもよく整理されてかなり読みやすくなっている。物語の構成も非常にわかりやすく整理されている。物語は三部構成になっている。
1. 花果山で生まれた孫悟空が、大暴れの末に釈迦如来によって五行山に閉じ込められるまで(第一回から七回)
2. 三蔵法師が唐の太宗の命により西天取経の旅に出発するまで(第八回から十二回)
3. 三蔵法師・孫悟空・猪八戒・沙悟浄一行が妖怪たちを退治しつつ天竺に向かう旅(第十三回から百回)(抜粋)
『西遊記』の一番の特徴は「一話完結、繰り返し」で全体の物語が出来上がっている事である。第三部は、妖怪があらわれ三蔵一行がピンチになったところで、孫悟空の活躍や釈迦如来・観音菩薩などの助けなどで妖怪を退治して次に進むという、基本パターンが繰り返されている。
こうしたパターンの繰り返しによって話をすすめていくというのは、読み手を楽しませるための、語りの基本テクニックです。(抜粋)
第一部は、花果山の仙石から生まれた孫悟空が仲間の猿と一緒に滝の奥にあった屋敷「花果山福地 水簾洞洞天」に住みつき、猿たちの大王「美猴王」として二、三百年の間楽しく暮らしていることから始まる。ところが美猴王が限りある命のはかなさに気づきはらはらと涙をこぼす。すると手長猿が飛び出して、仏と仙人と聖人は天地と寿命を等しくされていると言う。そこで美猴王は「不老長生」の術を身につけるべく旅に出る。
八、九年の間探し求めてやっと仙人の須菩提祖師に出会い弟子にしてもらう。祖師のもとでは熱心に修行にはげみ「孫悟空」という法名も与えられ、「七十二般変化の術ーさまざまに姿を変える)」「觔斗雲の術ー雲に乗って飛ぶ」「閉水の法ー水中を自由に動き回る」「身外身の法ーにこげをかみ砕き、吹き飛ばして分身をつくる」などの術をおぼえ、みごとに不老長生の身となる。
ところが、師匠のもとをはなれて「花果山福地水簾洞」に戻るとやりたい放題。てごろな武器がないと言っては東海龍宮に乗り込んで、伸縮自在の秘宝「如意金箍棒」をせしめ、龍王の三兄弟からは鎧を献上させた。
そんな悟空の前に、冥界からの使者がやってくる。しかし黙って言いなりになる悟空ではなく、大暴れしたあげくに、生きとし行ける者すべての寿命が書いてある「生死簿」を勝手に書き換えて、自分も仲間の猿もみな不老不死にしてしまう。
悟空の大暴れにたまりかねた龍王は天界の長である玉帝に訴え出た、玉帝はひとまず長老の太白金星の助言を入れて、悟空を天界へ招安し弼馬温-馬の世話係ーの役を与えた。悟空は最初こそ喜んでその役を引き受けていたが、それが天界では下っ端の下っ端である事がわかるとまたも大暴れをした。しかたなく玉帝は太白金星の助言を入れて「斉天大聖」として悟空を招安して、桃の園「蟠桃園」の管理を申しつけた。ここの桃を食べれば不老長生になれると聞いた悟空は隙をみては桃をむさぼりくい、西王母の設けた「蟠桃会」に潜り込んで御神酒を飲みちらし、太上老君の練りあげた金丹をたらふく食うありさまだった。
これに怒った玉帝は討伐軍をさし向け、大乱闘のすえ太上老君の「金剛琢」でやっと取り押さえる。しかし悟空は仙桃や金丹のおかげで、刀や斧で切っても傷ひとつできず、四十九日間燃やし続けてもなんともない身体になっていた。どうやって懲らしめるべきか打つ手がなくなった玉帝は西方の釈迦如来に助けを求める。
西方よりやってきた釈迦如来は悟空にたずねた。
「おまえは長生や変化の術のほか、いったいどんな術があって、天球の霊域を占領しようというのか」。「おれさまの術はうんとあるぞ。七十二般の変化の術があるし、未来永劫にわたって不老長生なんだぞ。觔斗雲に乗れば、ひとっ飛びで十万八千里だ。これで玉帝の座につけないはずはないさ」と斉天大聖(孫悟空)。如来は言った。「おまえと賭けをしよう。とんぼ返りをしてこの私のこの右の掌から出られる腕があるなら、おまえの勝ちとしよう」(第七回)(抜粋)
かくして、觔斗雲でひとっ飛びして世界の行きどまりまで飛んだつもりだったが、まだ釈迦如来の掌の中だった孫悟空の完敗となり、釈迦如来の五本の指が変化した五行山の下に封じ込められる。
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