[再掲載]「宋江の「忠義」と北宋末という時代」(水滸伝)
井波 律子『中国の五大小説』(下)より

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(初出:2009-04-13 )

「中国の五大小説」(下) 井波律子 著

『水滸伝』の巻 — 一百八星、数珠繋ぎの物語 七 宋江の「忠義」と北宋末という時代 — 梁山泊勢揃い、燕青の活躍

梁山泊に集まった百八人の豪傑が勢ぞろいしたのを受けて、宋江は祭祀を行わせた。そしてそれが満願となる七日目に轟音とともに天上から火の玉が落ちる。それを掘ってみると、「替天行道こうてんこうどう」「忠義双全ちゅうぎそうぜん」と四文字とともに天罡星三十六人、地煞星七十二人の姓名が順次記されていた。宋江をはじめとしたメンバー全員が自分たちは天上の星であり、あらかじめランク付けされていることをしる。

この勢揃いの場面は『水滸伝』のクライマックスであり梁山泊の絶頂期を示す場面である。

百八人の豪傑ともなると全員のキャラクターをきめ細かく描くのは困難であり、後半は数合わせの感が濃厚である。梁山泊軍団への入り方も、戦闘で負けた官軍の大将と部下が一緒に入るなどパターン化し、前半のようなスリリングな物語展開は無くなって行く。

この勢揃いの場面は、梁山泊軍団、水滸伝世界の「終わりの始まり」を示すものである。そしてこの「終わり」のきっかけは、加熱する宋江の招安願望である。

宋江の招安願望に梁山泊メンバーは違和感を覚え反対するが、結局は宋江に説き伏せられ招安する道に進む。『水滸伝』では、腐敗した北宋に梁山泊軍団が意を唱えて挑戦するという構図になっている。しかし、梁山泊軍団が敵視するのは、腐敗の元凶たる四悪人であり、徽宗自身は尊重し続ける。

水滸伝世界がめざすのは、国家体制を根底からくつがえすことではなく、これに揺さぶりをかけ、風通しをよくすることだといえます。
・・・・中略・・・・
こうした水滸伝世界の様相は、日々の平穏が先決であり、部分的改良は望むところだが、現在の体制が転覆することは望まないという、現実的な庶民感覚と深いところで一致するといってよいでしょう(抜粋)

歴史上の徽宗は、政治的に無能で四悪人を重用したために政治的混乱、社会不安を招き、さらに女真族の金に攻め込まれその捕虜となって死去している。どう見ても梁山泊のリーダー宋江が評価するような人物ではないが、この『水滸伝』の美化は、梁山泊軍団を招安へと導くための「物語の論理」である。

宋江は招安を得るために、徽宗に極秘に会う工作を行う。途中、童貫や高俅が率いる大軍を撃退するなどし、結局、徽宗から招安を得ることになる。

招安を受けたあと、水滸伝世界は一瀉千里いっしゃせんりで終幕へと向かいます。物語世界を揺さぶるトリックスターたちもしだいに精彩を欠き、「何が起こるかわからない」というスリリングな面白さも失われてゆきます。
・・・・(中略)・・・・
『水滸伝』は、北宋末の民衆が抱いていた危機感や願望を踏まえながら形づくられた物語にほかなりません。悪辣な高級官僚がはびこる八方ふさがりの現実にうんざりした人々の、こんな反逆者集団が存在し、官僚どもにひと泡ふかせてくれたら、さぞスッキリするだろうという願望を、具現したものなのです。(抜粋)

そういう意味で、『水滸伝』は「夢物語」であり「神話」である。それを如実に示すのは、ごくまれな例外を除き「時間」に関する描写が極端に少ないこと、百八人の豪傑が歳をとらないこと、さらには、時間とともに金銭の描写もほとんどないことなどである。

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