[再掲載]「曹雪芹が目ざした「密度」」(紅楼夢)
井波 律子『中国の五大小説』(下)より

Reading Journal 1st

 「中国の五大小説」(下) 井波律子 著(読了09)
 [Reading Journal 1st:再掲載]

(初出:2009-05-19)

『紅楼夢』の巻 — 「美少女の園」のラディカリズム 六 曹雪芹が目ざした「密度」 — もう一人の「宝玉」、あとがき

宝玉の願いもむなしく、大観園に集まった少女たちは、それぞれの事情で一人また一人と園を離れていくことになった。時が経ち大人になりつつある少女たちは、もはや屈託なく共生することはできず、また没落し始めた賈家にはもはや壮麗な大観園を維持してゆくだけの経済力はなかった。

『紅楼夢』のうち、曹雪芹が著したのは第八十回までであった。その後は前八十回までの随所にちりばめられていた登場人物の未来に関する暗示を参考にして高鶚が著した。

高鶚の手になる後四十回については、総じて物語構成も文章表現も曹雪芹の書いた前八十回の緻密さに及ぶべくもなく、とにもかくにも完結させようと、ひたすらあらすじを追うような、きめの粗さがあるのは否めない事実です。(抜粋)

もっともこのように前八十回と後四十回で断絶がある事がわかったのは二十世紀に入ってからで、それ以前の読者は百二十回を一貫したものだと受け取っていた。

『紅楼夢』は、後四十回だけでなく前八十回の部分にも未消化のエピソードがいくつか残り曹雪芹はさらに手を加えるつもりであったと思われる。

こうした未整理の箇所は、まるで扉を開けた向こうにひろがる異次元の世界のように、『紅楼夢』が想像を絶するほど多数の登場人物を有機的に関連づけながら、きわめて複雑かつ緊密に織りあげられた作品であること、しかもなお「道半ば」の作品であることを読者に強く印象づけるのです。(抜粋)

曹雪芹の構想でも少女たちはその後、それぞれきびしい状況に身を置く羽目になることは間違いない。後四十回では少女たちはそれぞれ不幸な運命をたどり、賈家は没落の一途をたどる。

散り散りになる少女たち、賈家の全面崩壊と、曹雪芹は紅楼夢世界の終末を無惨な暗い影でおおいながら、志半ばにして病没しました。(抜粋)

コメント

タイトルとURLをコピーしました