「中国の五大小説」(下) 井波律子 著
[Reading Journal 1st:再掲載]
(初出:2009-05-07)
『紅楼夢』の巻 — 「美少女の園」のラディカリズム 五 醜悪さのリアリティ — 賈家没落のきざし
『紅楼夢』が「小説的」な作品だということは、テレビドラマなどで実写化されたときに、『紅楼夢』好きの人はみな「これは違う、『紅楼夢』ではない」と言うところにもあらわれています。紅楼夢世界のリアリティは、そういうものとは質が違っているのです。
『紅楼夢』の登場人物は、『演義』『水滸伝』『西遊記』の登場人物のように物語世界の「役どころ」を果たすだけでなく、役割を超えた「内面」を備えている。行動としてあらわれない心の動きが書き込まれており、語り手や作者の思うままに操られる「人形」からみずからの意思で行動する「人物」に変貌している。これは「物語」から「小説」へと変貌を遂げているからである。『金瓶梅』にもそういうところがあったが、『金瓶梅』が二次元的だとすれば、『紅楼夢』のそれは立体的な三次元のレベルになっている。
『紅楼夢』では、重層性がさまざまな位相で組み込まれている。大観園の少女たちの夢のような世界も、その周囲には大人たちの世界、召使たちの世界等々さまざまな世界が存在し複雑に重ねあわされている。そして外の醜悪な世界があるからこそ、少女たちの夢の園がきわだつという構造になっている。
物語が後半にさしかかると、栄華を極めた賈家はしだいに没落の影におおわれる。そのきっかけは賈家の家政を取りしきっていた王熙鳳が流産を機に体調を崩していたことであった。そのころすでに賈家の屋台骨は揺らぎはじめていて、それを王熙鳳が容赦ない締め付けで保っていた。王熙鳳の代理を務めたのは賈深春であった。王熙鳳に手も足も出なかった使用人たちは、深春をみくびってごまかしにかかったが、深春は持ち前の潔癖で不正を許さない態度で古株の大人たちも委細かまわず締めつけた。
少女たち周りの世界は、小姐侍女の間にも格差がありいやおうなしに利権争いに巻き込まれる。また男たちは賈家の経済力に翳りがみられると賭博がはやるなど堕落していった。
男女、貴賤を問わず、こうした悪辣にして醜悪な存在を、『紅楼夢』は赤裸々にきっちり描きこんでいます。『金瓶梅』の場合は、人間の醜悪さを描くさい、誇張し極端化した手法を用いることが多く、こうした操作によって一種、滑稽感が醸しだされます。しかし、『紅楼夢』はそうした手法を用いず、醜悪なものを醜悪なまま、まことに綿密に描きだすのです。
・・・・・中略・・・・・
『紅楼夢』のメイン・テーマが宝玉の「永遠の少女幻想」にあるとしても、その幻想は醜悪な大人たちがうごめく周囲の現実と対比されることによって、それがいかにも稀有のものであるか、明らかになります。だから、作者はその幻想や夢の美しさじたいを絶対化して描くことよりも、これでもかこれでもかと、周囲の醜悪さを描きこみ、これと対比させ相対化させることをつうじて、幻想世界をきわださせようとするのです。
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