[再掲載]貴族的美意識と清という時代」(紅楼夢)
井波 律子『中国の五大小説』(下)より

Reading Journal 1st

 「中国の五大小説」(下) 井波律子 著
[Reading Journal 1st:再掲載]
(初出:2009-05-01)

『紅楼夢』の巻 — 「美少女の園」のラディカリズム 四 貴族的美意識と清という時代 — 物語を彩る文物

『紅楼夢』には、賈家の貴族的に洗練された生活の細部、つまり衣装や調度品、料理などが、まことに詳細に書きこまれています。

これは、衣装、調度品、料理は単に「豪華」とか「贅沢」と言うのではなく、それぞれ由来があったり、想像を絶するほど手間をかけて仕上げられたりするのである。

このように料理にせよ水にせよ、絶妙の味わいを求めて、手間ひまをかけ工夫を重ねる紅楼夢世界の食感覚は、高価な食材を用いた料理をむやみと並べたてることをよしとする、金瓶梅世界のそれとは天と地ほどの隔たりがあるのです。

『紅楼夢』では、洗練された美意識を感じさせる調度、器物、料理、衣装等々について詳細な記述が随所に見られ、賈母や少女たちの並はずれた優雅な暮らしぶりが、いきいきと臨場感をもって浮かびあがってくる。しかし、このような優雅な暮らしぶりの陰では使用人たちの間で賭博が横行するなど下劣な者たちが常に暗部でうごめいている。

一方の洗練の極み、もう一方の野卑の極み。『紅楼夢』の作者曹雪芹のもっともすぐれていた点は、この両極を見すえながら物語世界を構築しえたことにあるといえます。

『紅楼夢』ができたのは、十八世紀中頃、清代中期である。征服王朝である清は、明王朝の腐敗した部分を除去したうえで、漢民族のシステムは踏襲し再利用した。そのため、明から清に移行しても国家システムが劇的に変化する事はなかった。

しかし、価値観はじりじりと変化し表面的には旧態依然としているかのようにみえるが、女性観や女性自身の存在のありかたも変化をはじめる。明代の末期より清代の初期のころから、知的分野において頭角をあらわす女性が続々と出現し、時代とともにこの傾向はますます顕著になる。

曹雪芹の描くところの、高度な知性と教養を備えた魅力的な少女群像は、けっして絵空事ではなく、こうした時代風潮を踏まえたものだといえる。

曹雪芹はみずからの体験を踏まえて物語世界を構築していくにあたり、従来の価値観の決定的逆転をはかる根底的(ラジカル)な「仕掛け」を設けている。それは、少女崇拝者の宝玉を中心にすえ洗練された少女たちを存分に活躍させる物語構造にあらわれている。しかしそれは、一見『紅楼夢』は「男尊女卑」的発想を一蹴し「男女平等」を標榜しているかのように見えるがそのようなイデオロギーに異を唱えているのではない。

『紅楼夢』が時代を超えて生きつづけ、正真正銘の大古典でありえているのは、そうした時代的に限定された事象によるものではなく、もっと根底的、本質的にラディカルな要素によっています。『紅楼夢』の物語世界の特徴は反体制志向ではなく、非体制志向にあるというべきでしょうか。それは、体制という体制に対して、永遠に批判的な鋭い棘を保ちつづけ、物語世界全体をもって「ノン」と言いつづけているのです。

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