[再掲載]「縮小再生産と「暗黒神話」の終末」(金瓶梅)
井波 律子『中国の五大小説』(下)より

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(初出:2009-04-24)

「中国の五大小説」(下) 井波律子 著

『金瓶梅』の巻 — 謎の「作者」と裏返しの悪夢 六 縮小再生産と「暗黒神話」の終末 — 春梅による幕引き

西門慶の死後、利益を求めて群がった者たちは、瞬く間に散ってゆく。そして潘金蓮にもついに年貢の納め時がやってくる。潘金蓮は陳経済との姦通現場を呉月娘に抑えられてしまう。これにより呉月娘は、まず潘金蓮の腹心である春梅を追いだし、潘金蓮も王婆に引き取らせた。そして、そこに戻ってきたのは『水滸伝』の豪傑武松である。潘金蓮の消息を知ると武松は、王婆もろとも潘金蓮を抹殺してしまう。

潘金蓮亡き後、物語世界を動かすのは、春梅であった。

金瓶梅世界は、西門慶と潘金蓮の物語を「縮小再生産」するかのような、春梅と陳経済の破滅劇を核に、まことに悲惨にして陰惨な終焉を迎えることになります。(抜粋)

西門家を追い出された後、春梅は周守備の元に売られるが、幸運にも周守備の長男を生み、また正夫人が病死したため、正夫人の座につく。春梅は奇跡的な出世をとげる。
一方陳経済は、零落をつづけ最後は乞食となり乞食小屋の頭目に男色を売るまでになる。しかし、ひょんな事から春梅と再開したところからどん底から浮かび上がることになる。もともと深い仲だった春梅と陳経済はすぐによりを戻す。しかしそれも束の間、陳経済は刺殺されてしまう。

金瓶梅世界における春梅には、西門慶や潘金蓮の退場後、西門家の衰亡をみとどける役割が付されていることがわかります。もっとも、こうしてしかと西門家の衰亡をみとどけたあと、春梅自身も地獄からの使者というべき陳経済との再会を機に、堂々たる正夫人としての軌道からずり落ちはじめ、じりじりと破滅の淵に引きよせられてゆくのです。
・・・・中略・・・・・
春梅は、破滅の道を突き進んだ西門慶、潘金蓮、陳経済のあとを追うかのように、しゃにむに破滅へと向かってゆきます。(抜粋)

春梅は、結局死ぬまで色に狂い結核にかかり絶命する。

『金瓶梅』は、『三国志演義』『水滸伝』『西遊記』と共に「四大奇書」とされることが一般的だが、「書かれたもの」として最初の白話長編小説である『金瓶梅』は物語構造として他の三篇とは根本的に異質である。

『金瓶梅』は、『三国志演義』『水滸伝』『西遊記』と共に「四大奇書」とされることが一般的だが、「書かれたもの」として最初の白話長編小説である『金瓶梅』は物語構造として他の三篇とは根本的に異質である。

しかし、登場人物が内面的に変化してゆく「成長小説」ではなく、登場人物相互の関連性を描くことを主眼とする点では、『金瓶梅』も他の三篇と変わりはない。

固定した身分制が崩れた後ヨーロッパで生まれた「成長小説」は近代以降の進歩思想、「サルは人間に進化しうる」という進歩思想の産物である。

極言すれば『金瓶梅』は「人はサルである」ことを、思い知らせる作品だということになるかもしれません。(抜粋)

『金瓶梅』が生まれた明末は、デカダンスにおおわれ、「進歩」に対して懐疑的になり、出口のない閉塞感に悩まされていた時代である。それは二十一世紀の現代にも共通する。

明末の「現代小説」である『金瓶梅』は、時間差を超え国境を超え、今なお「現代小説」でありつづけているのです。『水滸伝』に深いくさびを入れることによって生みだされた、金瓶梅世界の抱える暗黒の持続力には、まことに驚くべきものがあります。(抜粋)

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