「中国の五大小説」(下) 井波律子 著
[Reading Journal 1st:再掲載]
(初出:2009-04-23 )
『金瓶梅』の巻 — 謎の「作者」と裏返しの悪夢 五 膨張と行きづまりの明末社会 — あいつぐ死の結末
『金瓶梅』には、当時の人々によく知られていた有名な物語や戯曲をうまく取り込んだ部分がある。
「典故」や「引用」は、古くから中国文学の主要な表現レトリックですが、小説においても、こうして「物語内物語」を埋めこむことによって、読者の連想や共通感覚に訴えかけ、物語構造を重層化させる効果が生じます。『金瓶梅』はこうした小説における「典故」技法を巧みに運用しているのです。(抜粋)
李瓶児が官哥を生んだ直後、呉月娘は階段で足を滑らして流産してしまう。その後、出入りの尼僧によりつくられた懐妊剤によって懐妊する。
西門慶は媚薬、呉月娘は懐妊薬と、夫婦そろって怪しげな宗教者から下に入れた薬を服用したことによって、運命が変わったというわけです。(抜粋)
官哥の誕生は西門慶の繁栄の頂点であったが、その誕生には当初から不吉な影がさしていた。西門慶は、次から次へと女性と深い関係になるが子どもは、亡き正夫人の生んだ娘の西門大姐ひとりだけ、せっかく生まれた官哥は、育つかどうか危ぶまれる虚弱児、呉月娘も不自然な形で身ごもる。
つまるところ、西門慶は公私ともどもさかんに繁栄し増殖しているようでありながら、それは根本的に不毛で、うつろな繁栄でしかなかったのです。(抜粋)
官哥の誕生を頂点として西門慶、ひいては『金瓶梅』世界もじりじりと衰亡に向かってゆく。まず、最初に命を落としたのは官哥とその母の李瓶児である。そして二人を死に追いやったのはほかでもない潘金蓮である。
潘金蓮は、官哥が生まれた後、西門慶が母の李瓶児を特別扱いすることに腹を立て、李瓶児母子に嫌がらせをする。そして、もともと少しの物音でも引きつけを起こす虚弱児の官哥や産後のひだちが悪い李瓶児は衰弱してゆく。潘金蓮は、飼いねこの雪獅子を赤いものを見ると飛びつくように訓練する。その結果、雪獅子はたまたま赤い上着を着ていた官哥に飛びつき激しいひきつけを起こさせる。結局官哥はそのまま回復せずに一年二か月の生涯を終えてしまう。また母の李瓶児も潘金蓮の攻勢に日ごとに衰えこの世を去る。李瓶児は、物語に登場する頃には、悪魔的なドクドクしさがあったが、第六夫人になる頃からその毒も消え去りやさしい女性に変身してしまう。やさしさの化身となった李瓶児は、しょせん金瓶梅世界で生き残ることはできませんでした。
潘金蓮は李瓶児の排除に成功して、得意の絶頂となり目に余るふるまいも多くなる。ここにきて李瓶児の死に疑問をもった呉月娘と敵対関係になり将来的には潘金蓮の悲運を決定づけてしまう。
西門慶は、李瓶児の死後、官僚連中との付き合いも増え、さらに媚薬の力をかりた女性関係の乱脈さもピークに達して心身ともに消耗する。そして、ある日過度の疲労で眠りこけていた西門慶に怒った潘金蓮は、一回に一粒が限度の媚薬を三つも飲ませ、自分も一粒のむ。その効果はてきめんで西門慶は淫慾を爆発させる。しかし、それがもとで重症となりこの世をさる。またその同じ日に臨月だった呉月娘は、息子(孝哥)を産みおとす。
欲望を爆発させたあげく、あっけなく滅んでいった西門慶の姿は、『金瓶梅』が書かれた明末という時代のエートスを象徴するものであります。(抜粋)
明末は、無能な皇帝と悪質な宦官が横行して政治的な混乱と腐敗が常態化した時期である。しかし商業は発展して都市も繁栄した。このような状況化で、知識人の意識も大きく変わり、その先駆けとなったのが、李卓吾(一五二七 - 一六〇二)である。彼は伝統的な儒教的な価値観を攻撃し、従来は排除されてきた人間の欲望を積極的に肯定した。文学においては、白話長編小説などの俗文学を評価し、反対に六経や『論語』『孟子』を徹底的に批判する。『金瓶梅』は、この李卓吾の命脈を受けつぐ、編者や作者の手になるものであることは明らかである。
西門慶や潘金蓮のまことに愚かで不毛な欲望の爆発ぶりは、滅亡を前にしながら、あっけらかんとした開放感にあふれた明末社会を、極端化した形で象徴しているともいえます。その意味で、『金瓶梅』は明末社会を総体としてあぶりだすアナロジー小説として読むこともできます。(抜粋)
コメント