[再掲載]「母に罰せられる - 『彼岸過迄』」
三浦 雅士『漱石』より

Reading Journal 1st

「漱石」 三浦 雅士 著
[Reading Journal 1st:再掲載]
(初出:2008-12-04)

第六章 母に罰せられる - 『彼岸過迄』

『三四郎』『それから』『門』の底流にあるのは、愛していること、愛されていることに気づかなかった罪である。
『それから』の代助は、愛に気づいていなかった。愛に気づいてなかったからこそ三千代を他の男に譲ったのだ。代助みずから、三千代が平岡より自分を愛しているかもしれないという考えを封じてしまった。それは、万にひとつも愛されていないという答を聞くことに堪えられなかったからである。

『それから』の発端になる恋愛のかたちは、突きつめてしまえば、おまえのようなものの顔は見たくないと母に言われて親類へ泊りに行き、泊りに行っているあいだに母に死なれてしまったという『坊ちゃん』のパターンと同じです。
・・・・・・中略・・・・・
代助は、三千代を捨てたわけだが、捨てる前に、自分のほうから進んで捨てられてしまっているのです。坊ちゃんにしても同じだ。自分のほうから進んで捨てられてしあうことによって、母を捨てているのだ。(抜粋)

自分は母に愛されていなかったのではないかという問いによって出来上がってしまったこのような心の鎧は、『坊ちゃん』から『門』にいたるまで融けることがなかった。

『彼岸過迄』は、短編を連ねて長編を作るという実験的な小説である。しかし短編の連作という意味では、破錠している。そして、『彼岸過迄』のなかでは、「須永の話」が抜きんでてよい話である。

漱石は、『それから』の後始末を『門』でつけようとしたが、結局、「須永の話」まで持ち越してしまった。(抜粋)

「須永の話」は、父の死後、血の繋がっていない母に育てられた須永市蔵の話である。市蔵は自分が実の子でないことを知らないまま育ち、母と子は秘密を持ったまま親密な家庭を築いていった。母は妹の子、千代子が生まれると、ぜひ市蔵の嫁にもらいたいと申し出る。血の繋がりが欲しかったのである。問題は、市蔵が千代子との結婚を拒みつづけるところから生まれた。
市蔵は愛されていることに気づかない、気づくことを拒否している馬鹿であった。それは、『それから』の代助に通じる。
市蔵は、鎌倉の別荘に居合わせた高木という男が、自分より千代子に愛されているのではないかと嫉妬し東京に帰ってしまう。その後、母を送ってきた千代子が市蔵の家に泊まる事になる。千代子がまた鎌倉の別荘に帰る事を知った市蔵は思わず「高木はまだいるのか」と言ってしまう。そして、その言葉を聞いた千代子は「あなたは卑怯です」と言い放った。

あなたは卑怯だ、というこのひとことは、市蔵のみならず、代助にも、甲野にも、漱石自身にも向けられた言葉である。(抜粋)

万にひとつであれ自分が愛されていないという答えを聞くことが絶えれない、このような態度を千代子は卑怯だと言ったのである。つまり世界はすべて間三尺隔てていれば落ち着いてみられるとうそぶく、その態度を卑怯と言ったのである。

「須永の話」はここで突然終わっている。そして「松本の話」が後につづく。ここで、はじめて市蔵の出生の秘密が語られる。

千代子に、あなたは卑怯だと突きつけられたその市蔵の態度の理由が、その起源が、出生の秘密に求められる。ということは、漱石がはっきり意識していたかどうかはともかく、『彼岸過迄』にいたる作品のすべてに出生の秘密が関与していると思い始めたことを示唆している。(抜粋)

漱石は、三千代は千代子を描く過程で、どうして自分は、「じゃあ、消えてやるよ・・・・」といった心の癖、行動の癖を身につけてしまったか、その訳をしりたくなって、ついに出生の秘密までいたった。継子の僻み根性にまで至ったのである。

コメント

タイトルとURLをコピーしました