知っている古文の知らない魅力」 鈴木健一 著 (読了06)
[Reading Journal 1st:再掲載]
(初出:2006-06-20)
第六章 『伊勢物語』-小さな恋の物語、おわりに
今日の部分は伊勢物語。
伊勢物語は、在原業平がモデルである「昔男」を主人公とする小さな恋の物語が百十五収められている。
一つ一つの短いストーリーは、一首ないし数種の和歌によって構成されている。
ここでは、その中の芥川の段を例に取り、それがどのような話しの影響を受けまた以後にどのような影響を残したかをさぐる。
むかし、男ありけり。女のえ得まじかリけるを、年を経てよばひたわまりけるを、からうじて盗みいでて、いと暗きに来けり、芥河という河を率て行きければ、草の上に置きたりける露を「かれはなにぞ」となむ男に問ひける。行くも先多く、夜もふけにければ、鬼ある所とも知らないで、神さへいといみじう鳴り、雨もいたう降りければ、あばらなる蔵に、女をば奥におし入れて、男、弓、胡籙を負ひて戸口にをり。はや夜も明けなむと思ひつつゐたりけるに、鬼はや一口に食ひてけり。「あなや」と言ひけれど、神鳴るさわぎに、え聞かざりけり。やうやう夜も明けゆくに、見れば、率いて来し女もな し。足ずりをして泣けども、かひなし。
白玉かなにぞと人の問ひし時露とこたへて消えなましものを
これは、二条の后の、いとこの女御の御もとに、仕うまつるやうにてゐたまへりけるを、かたちのいとめでたくおはしければ、盗みて負ひていでたりけるを、御兄人堀河の大臣、太郎国経の大納言、まだ下にて内裏に参りたまふに、いみじう泣く人あるを 聞きつけて、とどめとりかへしたまうてけり。それを、かく鬼と言ふなりけり。まだいと若うて、后のただにおはしける時とや。
(昔、男がいた。手に入れられそうになかった女を、長年求婚しつづけたが、やっとのことで盗み出して、たいそう暗い所を逃げてきた。芥川という川のあたり を、女をつれて行ったところ、草の上に置いた露を<女が見て>「あれは何」と男に問いかけてた。行く先はまだ遠いし、夜も更けてきたので、鬼がいる所だと も知らずに、雷までもがたいそう激しく鳴り、雨もひどく降ってきたこともあり、戸締りもせずがらんとした倉に女の奥の方に押し入れて、男は弓と胡籙(矢をいれる器)を背負って戸口で警護していた。はやく夜が明けてほしいと思っている間に、鬼があっという間に一口で<女を>食べてしまった。「あれー」と<女は>言ったけれども、雷が騒がしかったので、<男は女の声を>聞くことができなかった。だんだん夜が明けていき、<男が>見れば、連れてきた女の姿はな い。足ずり<地団駄>をして泣いたけれども、どうしようもない。
「あれは白玉ですか。なんですか」とあの方がたずねた時に、「あれは露ですよ」と答えて露のようにはかなく消えてしまえばよかったのに、<そうすれば、こんな悲しいことを体験せずにすんだのだから>。
この話は、二条の后が、いとこの女御のもとで、お仕えするようなかたちでいらっしゃったのを、たいそう美人でいらしたために、<男が>盗み出して背負って 逃げ出していったところ、后の兄の堀河の大臣<基経>、長男の国経大納言が、まだ身分も低くていらして、宮中へ参内なさる時に、ひどく泣きている人がいる のを聞きつけて、<男が連れて行くのを>引きとどめて、<后を>とりかえされたのである。そのことを、このように鬼と言ったのである。二条の后がまだずっと若くて、普通の身分でいらした時のことであるということだ。)
以上が芥川の段である。
芥川の段は、和歌までの前半と種明かしの後半に分けられる
- 前半・・・昔男が奪ってきた女を鬼に食べられる話
- 後半・・・前半の話は、昔男(在原業平)が二条の后を兄基経・国経に奪還されたという話であるという種明かし。
この物語の魅力は、恋の逃避行というスリル、鬼の存在、和歌のかもし出す叙情性、そして、
なんといっても昔男の情熱的なありかたが感動的です。昔男の恋は、困難なものに敢えて 立ち向かうところに、その本質があります。危険を冒してまで、ほとんど不可能に近い恋を成就させようとする昔男の情熱には、恋に対する崇高なまでの真摯さを感じずにはいられません。
この芥川の段は、その後
- 『更科日記』の竹芝寺を巡る伝説
- 『今昔物語』の「在原業平中将女、被噉鬼語」
- 『西鶴諸国話』の「忍び扇の長歌」
- 『雨月物語』の「吉備津の釜」
などに、影響を与えた。
反対に伊勢物語は、古事記や仏教説話の影響を受けている。
古事記には、大穴牟遅神〔大国主命〕が、須勢理毘売を背負って逃げるという話がある。この話 の本質は、前王の娘を無理やり奪うパワーがあるくらいでないと、次の王になる資格はないというものであり、その古代国家の王の資格のイメージがはるか時を へて、在原業平の理想の男性像の系譜に繋がっている。
また、伊勢物語は、『地蔵菩薩発心因縁十王経』の中の、「死後の世界で、女性は初めて関係を持った男性に背負われて三途の川を渡る」という伝説と、女を背負った男や、恋や川という要素が結びついている。
この仏典の影響としては、たとえば『源氏物語』葵巻で、出産を目前に控えて、六条御息所の物の怪に悩まされる葵の上(光源氏の正妻)に対して、もしかしたらもう快復しないのではないかと光源氏が危ぶみ、「たとえあなたと死に別れたとして も、必ず再びお逢いできるのだそうですよ」と彼女に語りかける場面があります。これも『地蔵菩薩発心因縁十王経』の伝説に基づいているといわれており、当 時の人々にとって印象深いものであったようです。

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