「星の王子とわたし」 内藤 濯 著
[Reading Journal 1st:再掲載]
(初出:2007-02-05)
星の王子周辺 少年時代1、少年時代2
「星の王子さま」が架空の物語でなくて、作者の生活体験で裏づけられていること、この作の中身を解きほぐすには、何よりこの一事を頭におくことが大切である。
ここでは、アントワヌ・ド・サン・テグジュぺリの生い立ちと、少年時代の話が書かれている。
サン・テグジュぺリは1900年、フランスのリオンで生まれる。父は1904年に大した財産も残さずに病死している。母と五人の子供たちは、祖母や大叔母の援助で生計を立てて生活をした。彼は子供のころ、桁外れに我がままであった。
二つとない分身と思っていた弟のそういう臨終を目のあたりに見たアントワヌは、最後の小説風な体験記録「戦列パイロット」(一九四三)の中で、かつての苦痛をまったく反射的に思いだしている。
-----ぼくが十五とき、ぼくの弟が、なん日か前から、助かりようがなさそうだと言われていた。ある朝四時ごろ、附き添いの看護婦がぼくを起こしにきた。・・・・・・
ぼくは急いで服を着て、弟のそばに行く。神経の発作で、弟は痙攣を起こしている。物ひとつ言わぬ。発作の間じゅう、なんでもないと言ってでもいそうに、手を振る・・・・・・・。しかし、ひとしきり発作がしずまると、弟はぼくにわけを言う。「こわがらないでね・・・・ぼく苦しかないよ。痛かないよ。この力じゃどうにもならないのさ。ぼくのからだが、こうするんでね・・・・」
作者はつづいてこう書いている-----人は死にでくわすとき、死はもう存在せぬ。・・・・・・死につかまって、だれが自分のことなんか考えるものか。
残してきたバラの花のことあ気になって、遠くの星へ帰って行くことに肝をきめた王子が言う-----「ね、遠すぎるんだよ。ぼく、とてもこのからだ、持っていけないの。重すぎるんだもの。・・・・・でも、それ、そこらにほうり出された古いぬけがらとおなじなんだ。悲しいかないよ、古いぬけがらなんて・・・・」
この場合の王子が、いたいけなフランソワでないと誰が言えよう。死を決した王子の前には、死はもはや、存在しなかったのである。

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