「ありえない日本語」 秋月高太郎 著(読了)
[Reading Journal 1st:再掲載]
(初出:2005-04-29)
第七章 「ゲッチュ」「プリチー」-外来語表記のポインツ 第八章 愛の告白の言語学 -「つきあってください」と「ごめんなさい」 あとがき
ここでは、「ゲッチュ」などのニュータイプの外来語表記について、そして、最近の愛の告白で使用される言葉についての考察。
ニュータイプの外来語表記については、はじめに普通の外来語表記に関する規則の説明を発音記号を使ってしている。(ここは、発音記号がわかってないので難しかった。)そして、
「ゲッチュ」や「ポインツ」は「文法的な正しさは犠牲にして、言語に近い音を再現するというやり方がさいようされることになる」(抜粋)
と解説されている。(「ゲッチュ」=「get you」なのでこれを「get」の意で使うのは、本当は間違い)
ここまでは、驚くほどのことでないのだが、もう一つの「プリチー」のような語の解説が面白かった。「プリチー」=「pretty」であり、普通は「プリティ(-)」と表記される。
そして、このティーという音(
「ごく最近(おそらく戦後)になって、外来語専用に作り出された音なのである。」(ディも同様)(抜粋)
作られた当時はこの音により、新しさを演出していたのだが、しだいにその新しさは薄れかえって昔にかえって「チ」と発音するほうが新しく思えるようになった。それが、「プリチー」のような語が使われる理由であるそうだ。
次に、最近の愛の告白に使用される語についての考察。ここは、読んでいて多少無理が議論かな?と思うところもあるが、話としてはまとまっていて、結構面白い。
「なぜ、今日の若い世代の人々は、『好きだ』や『愛している』とは言わずに、『つきあってください』というのだろうか。」筆者は、最近の若い世代がどのような状況で愛の告白を行っているかについてから考察している。それによれば、彼らが愛の告白をしているのは、よく知ったクラスメートや会社の同僚ではなく、合コンやケイタイ、インターネットで知り合った見知らぬ人である。つまりは、「好き」のような言葉を使と軽く見られる危険性があるので「付き合ってください」のように間接的に告白すると言うことである。(「好き」のような感情はある程度時間をかけて熟成されるとの認識による。)・・・議論が唐突のような気もするがなかなか面白い。
次に、「女性からの告白」にかんする考察がある。
なんでも「日本社会において、女性が愛の告白をしてもいいと考えられるようになったのは、ごく最近のことであるらしい。」と言っている。少女漫画などを参考にすると70年代の少女漫画には、女性からの告白は、認められていなかったのだそうだ、それが80年代終わり以降の少女漫画では女性が告白する事は、普通になっているらしい。
では、なぜそうなったのか、については、筆者によると、「プロポーズ」と「告白」が分離したことによるらしい。
「愛の告白がプロポーズから独立したことによって、愛の告白の男女平等が実現した。」(抜粋)
(以前は告白はプロポーズと同じで結婚の申し込みと同義であるため、もっぱら男からなされた。)
そして、筆者が言うには
「今日の若い世代の人々は、男の方からも、女の方からも愛の告白をしてつきあうが、つきあいながらも、その相手と結婚するのか、他にもっといい相手がいるのではないか、という疑念につねにとらわれている。」(抜粋)
のだそうだ。・・・・それって今に始まった事なのかなぁ~
ちなみに、女性からの告白は「あたしを彼女にしてくれる?」。
これって可愛いね。
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