「ありえない日本語」秋月高太郎 著
[Reading Journal 1st:再掲載]
(初出:2005-04-27 )
第四章「~じゃないですか」は失礼じゃないですか 第五章「よろしかったでしょうか」はなぜ「丁寧」か?
ここでは、若い人がつかう「~じゃないですか」と、ファミレスで使われる「よろしかったでしょうか」について
「~じゃないですか」という言葉は、若い人に頻繁に使われるが、これを聞いた年長者が不快に思うことがある。どうして、不快に思うのかということについての分析。
この語の発生は、「~ではないか」→(音声の縮約)→「~じゃないか」→(ですます化)→「~じゃないですか」であるそうだ。
そして、不快に思う理由の一つは「~じゃないか」にある、否定的意味である。
しかし、この語の用法には、否定的な意味をもたないものもある。
「話してと聞き手が共有している情報を、聞き手に思い出させる働をする・・・」用法で、若い世代の人々が用いているのは、この用法がほとんどであるらしい。
この用法では、その情報をお互いが共有している場合には、不快感を与える事は少ない、しかし、話を聞いているほうがその情報を共有していない場合は、不快感を与えてしまう。
若い人が年長者に不快感を与えてしまうのは、お互いの共有知識の見積の失敗にあるのだそうだ。
次に「よろしかったでしょうか」について、
この語も、なんで過去形なんだ!のような批判が多い語である。年配者だけでなく若い世代でも違和感がある人が多いのだと書いてある。ボクもチョッと気になるな。
この語は、ファミレスなどのマニュアル化された言葉であるが、なにに配慮してこの語を使用させているかについて解説している。
お客への配慮から使われる語であるが、かえってお客に違和感を覚えさせる結果になっていることを、筆者は、「配慮の堂々巡り」であると言っている。
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