Reading Journal 2nd

文体について
谷崎 潤一郎 『陰翳礼讃・文章読本』より

日本語の文体は「文章体」「口語体」などに分けられるが、現在ではほぼ「口語体」だけである。谷崎はこれを「講義体」「兵語体」「口上体」「会話体」に分けてそれぞれの形と特徴について解説している。そして「会話体」の発展に期待している。:『陰翳礼讃・文章読本』より
Reading Journal 2nd

統制経済へ — 日中全面戦争下
吉田 裕 『続・日本軍兵士』より

日中戦争が長期化すると統制経済が行われた。そのため国民生活は悪化し軍隊にもその影響が及ぶ。たとえば陸海軍のパン食は、小麦の輸入が困難となったためむずかしくなり、羊毛の輸入も困難となったため、冬用の軍服は絨製から質が劣る綿製となった。:『続・日本軍兵士』より
Reading Journal 2nd

神の呼びかけ(後半)
浅野 順一 『ヨブ記 その今日への意義』より

人間は、神が定めた律法的な存在として生じたため、そこには偶然というものはない。そして、そのためこの世の中のすべてのことに対して責任を負うことになる。神が「腰に帯して男らしくよ」と叱咤したときヨブは、その悩みから目覚める。:『ヨブ記 その今日への意義』より
Reading Journal 2nd

調子について(後半)
谷崎 潤一郎 『陰翳礼讃・文章読本』より

代表的な調子である「流麗な調子」「簡潔な調子」の他にも「冷静な調子」「飄逸な調子」「ゴツゴツした調子」がある。これらの調子にはそれぞれ長所と短所があり、何れが良いものとは言えない。また、先天的要素が大きいが、後天的にも変化する。:『陰翳礼讃・文章読本』より
Reading Journal 2nd

[レビュー] 『李陵 山月記』(後半) — 「弟子」「李陵」
中島 敦 著

中島 敦の『弟子』『李陵』はともに、中国の古典から題を取っている。『弟子』では、孔子の高弟の子路を取り上げ、その人生を追い、そして『李陵』では、李陵、司馬遷、蘇武の人生とその不幸を取り上げ、邪が栄える世の中の問題を問うている。:『李陵 山月記』より
Reading Journal 1st

[再掲載]「作者素描」3
内藤 濯 『星の王子とわたし』より

(初出:2007-03-07)の再投稿:「作者素描」3 内藤 濯 『星の王子とわたし』より
Reading Journal 1st

[再掲載]「作者素描」2
内藤 濯 『星の王子とわたし』より

(初出:2007-03-05)の再投稿:[再掲載]「作者素描」2 内藤 濯 『星の王子とわたし』より
Reading Journal 2nd

ガリレオの「自然は書物である」
イタノ・カルヴィーノ 『なぜ古典を読むのか』 より

ガリレオは「自然は書物である」と言った。そしてそのアルファベットは、数学、幾何学であるとしている。このアルファベットという考えには、形態の「高貴さ」という問題あり、変化のしないものよりも変化、変容する自然を高貴であると考えた。:『なぜ古典を読むのか』より
Reading Journal 2nd

増大する中年兵士、障害を持つ兵士 — 日中全面戦争下
吉田 裕 『続・日本軍兵士』より

日中戦争が長期化に伴い、陸海軍の兵力は増大した。そのため現役兵の徴集だけでは、必要な兵力を確保できず、「徴兵検査の基準引き下げ」「予備役、後備役の徴集」さらには、事実上兵役免除であった「国民兵役の徴集」まで行われるようになった。:『続・日本軍兵士』より
Reading Journal 2nd

神の呼びかけ(前半)
浅野 順一 『ヨブ記 その今日への意義』より

エリフの説教の後、いよいよ神が登場する。神はつむじ風となり現れ「わたしに答えよ」と言う。ここで問題なのは、ヨブの苦しみの責任が、神とヨブのどちらにあるあるかである。それは人間の苦悩の責任が人間にあるのか神にあるのかにつながる。:『ヨブ記 その今日への意義』より